
千年王国ファンタジー|幻想聖典 エスキャトロギヤ 第21章 洗礼
第1話 汚染
ヤオとカンバは連れ立って、レヘム村の居住区域を下って、演習林の中の、温室や研究室が固まっている一角に向かった。サリーを看取った集会所兼医務室の建物もあるところだ。村は風上にあるのでわからなかったが、森に入るにつれて、異臭が鼻につき、ヤオは立ち止まった。木が病気になった時に発する匂いの、濃いものだった。林道の左方向、演習林の南側から漂ってきた。
「だいぶ、良くないんだな」
ヤオはひっそりと言った。
「オルククが詳しく調べてるよ。腕に菌を擦り付けたりしてさ。あと……」
カンバは離れた後方からウィスターとアミュテュスがついてきていることを確かめた。医者がいればきちんと手当してもらえると思ってのことだった。さらには、女性たちに声が届かないかを心配したからだった。
「さっき、ちょっと聞いちゃったんだけど。もしかしたら、燃やすかもしれないって。森を」
「燃やす? どれくらい?」
カンバは間違いなく「森を燃やす」と言っただろうか。「樹を燃やす」ではなく。
「だから、森をまるっと」
「大公の森だぞ?」
フェリックス王やツユリ王が来てくれたのだから、もう何もかも大丈夫なはずだと思っていた。もちろん、そんなはずはないのに。
「その大公が言ってたんだよ、燃やすしかないかもなって」
研究室には、フェリツ城からの調査団のほか、村に留まっている庭師や植物学者、動物学者、樹木医が集まっていた。温室の延長線上のような場所で、ガラスの天井には蔦が這って緑の光が注いでいた。薬品や計器、書棚と植物棚がいっしょくたに並べられている。机の上は実験器具やビーカー、試験管でごちゃごちゃしていた。各自場所を見つけて座ったり立ったりしていた。
ヤオの祖父で樹木医のオルククは、これまでの調査内容を聞きに次々とやってくる人々のなかに、孫の顔を見つけてやってきた。
「ヤオ、怪我はないか?」
オルククはヤオの肩に手を置き、いつも何かしら傷を作ってくる孫の顔や手を確かめた。
祖父は両腕を痛々しくかぶれさせるままにしている。大概の植物にはまけることがないはずだが。
「大丈夫だよ。オルククこそ、無理すると腕が落ちてしまうよ」
オルククは目に見えて落胆した。
「なんだ。傷はないのか。擦り傷とか、切り傷とか。いつもどっかしらにこさえてるだろう。肝心な時に」
「そりゃ、靴擦れくらいはあるけど」
この数日歩き通しだったので、さすがに足がひりひりしていた。
「靴擦れ! それはいい。見せてみろ」
樹木医のくせに、孫の手当をさせられ続けて、とうとう怪我を作ってこないと落ち着かないまでになってしまったのだろうか。
ヤオが机に腰を掛けて、サンダルを脱いでいるうちに、オルククは他の研究者に試薬らしきものを持って来させた。この忙しい時に、現実逃避に人間用の軟膏を作りでもしたのか、と呆れているヤオの傷に、オルククは、白いものをちょんと乗せた。
「し、み、るぅー」
ヤオは膝を抱えて唸った。
「ちょっと、あなた、それって!」
ウィスターがオルククに叫んだが、オルククは研究室の時計をちょっと見て、時間を控えさせた。
「ちょっと時間を置いて、何か変化があったら、言いなさい」
「あなた! いったいなにを」
「一年に何べんも木から落ちて死なんかったんだ。今更そんくらい」
オルククはふんと鼻をならした。
一連の騒ぎを見届けて、ツユリがフェリックスに視線を戻した。フェリックスは片手にガラス棒を握って、顔は宙を眺め、口の中をもごもごと動かしていた。
ウィスターが、そばの村人に尋ねる。
「何してるんですか?」
「菌を、召し上がられたんだ」
「ええぇ」
「うん。やっぱりそうだな」
フェリックスが言った。
「ヰェナダーの味、なのか」
ツユリがフェリックスにグラスの水を渡した。
「正しくは、ヰェナダーの『柱』の味に近いな。根っこに齧り付いたことがあるだけだが」
フェリックスは水で口をゆすいだが、そのまま飲んだ。
「吐き出してくださいよ!」
ウィスターが言った。
「胃酸ほど頼りになるものはない」
フェリックスは腹を撫でた。
「僕は、演習林の味の濃いやつだなって思いました」
ヤオが菌をつけられた傷から目を離さずに言った。
「そう! まさにそうだ」
フェリックスがガラス棒でヤオを指した。
「この森の人たちは、菌を塗ったり食べたりするのが日常なの」
ウィスターが周りの村人に尋ねた。
「いやあ、人によって、虫ならいけるっていうやつとか、ヤオみたいになんでも口に入れないとおさまらん、ていうのとか、いろいろですわ」
ウィスターは否定してほしかったのに、満更でもないという顔の村人たちがほとんどであった。
つづく






