千年王国ファンタジー|幻想聖典 エスキャトロギヤ 第28章 パトモス島
第3話 檸檬
風が一段と大きく窓を揺らし、アミュテュスは目が覚めた。しばらく布団をかぶって身を硬くして、悪夢が残して行った、生々しい取り返しのつかなさが去るのを見送った。鼓動が落ち着くと共に、またうとうとし始めたが、喉の渇きと、トイレに行きたいのが同時に我慢できなくなり、ベッドを出た。
暗い。今臥〔こんが〕は第6の太陽も、月もないのだろう。嵐は去ったようだ。少し残念だった。荒々しい天気はどこか、胸中を代弁するようだから。洗面所を出てキッチンに向かうと、ぼんやりと明かりがついていて、人の話し声がした。
ウィスターとヤオが、ランタンをつけて、毛布をかぶり、キッチンの床に座り込んでいた。酒を飲んでいるようだった。アミュテュスがやってくると、いたずらが見つかったように二人でくすくす笑った。
「こいつ、暗いのが怖いんだって」
ウィスターが言った。
「いや、僕の部屋に毛布かぶって入ってきたのは、ウィスターだから」
「部屋の扉も窓も全開にして、窓辺でハアハア言ってたでしょ。野犬が入ってきてるのかと思ったのよ」
アミュテュスはコップに水を汲んで、キッチンの椅子に座った。ヤオはアミュテュスの相手をウィスターに任せるように目をそらし、黙り込んだ。アミュテュスはヤオがわからなくなった。すぐに立ち上がって、勝手口の扉を開け、嵐の後のふくらんだ空気が部屋の中に吹き込むままにした。東の空は、白みはじめている。さっと後ろを、二人を見た。二人はアミュテュスを待った。キッチンに置いてあるギターを掴んだ。実に数週間ぶりにギターを持った。調律もせずに一息に指を動かす。
{はさぴをむいに、ぃきましう。くれぃらとぅこるを、しつてぃるむぁん}
「鋏を無理に使うと歯がこぼれる?」
ヤオが言った。
久々のギター喋りが散々なので、放り出して部屋に戻りたくなった。でも友人たちは、まだ言葉を待っていた。練習のつもりでまたギターを構え直した。
{あさひ、うお、いり、きちゃ}
「確かに、晴れてきたから、朝日が見られるかもね」
ウィスターが言った。
ヤオの顔はいまだによくわからないというように笑顔が固まっていた。
「あさひ、って何?」
「日の出よ」
ヤオはアミュテュスのギターのようにたどたどしく「ひので」と繰り返した。
「おのぼりさんのこと?」
「何それ」
「旧い太陽が見えてくること」
ヤオの故郷には有り余るほど太陽があるので、太陽一個が増えることも減ることも、たいした事件ではなかった。それに演習林の東には山があったので、旧い太陽が顔をだす頃には日も進んでいたのである。
「そんなだらだらしたもんじゃないわ……アミュちゃん、こいつに朝日ってもんを見せてあげてよ」
「ウィスターは行かないの?」
ヤオは縋るように言う。
「明るくなってきたから、眠いわ」
「僕も……」
「臥明け前に、仮にもご婦人が一人で出かけるなんてだめよ……じゃ、おやすみ」
ウィスターは毛布を被ったまま立ち上がり、アミュテュスの肩に手を置き、部屋に戻って行った。
* * *
アミュテュスとヤオはまだ寝静まった町に出て、海岸を目指した。ヤオはランタンを、アミュテュスはギターを持った。北東のヰェナダーの光は厚い雲に覆われ、東に目を転じると、水平線が白く、わずかに紅色に滲み始めていた。二人はまだ青々と落ちる闇を背負うようにして、石壁の上に座り、海岸を見張らした。釣り人や漁船がぱらぱらと出ていて、人の営みがはじまっていることに、ヤオはほっとした。
「あっちから出てくるの? 日の光を、真正面から受けて、大丈夫なのか?」
青年は確かに白く発光している水平線を恐ろしげに指差した。
アミュテュスは今日から楽器を解禁しようと、早速ギターに向き合っていた。二人は並んで座っていたが、間にはランタンがあった。ヤオは、これまでの彼女との時間でしてきたように、目に入ったものやそこから連想されることを手当たり次第に口に出すことで、空白を繋いだ。桃色に染まる雲や、まだ影の深い、嵐の凶暴さを残す海の様子などを。
二人には今までサリーやイツダテやシーダー社という、漠然とした中継地があった。今はもう、直通しようと思えばできるお互いだった。あとはただ距離を探り合っているだけの男女だった。アミュテュスは相槌を入れず、ギターを弾いていた。それでもどことなくヤオの話を聞いているのはわかった。本気でギターに夢中になったら、声が掻き消えるほどに音に抑揚が生まれるはずなのだ。
「アミュちゃんの」
ヤオは彼女の名を呼ぶことさえどぎまぎした。ヤオにとって、あらんかぎりの意味を込めずにいられない響きを。アミュテュスはギターを止めた。
「好きな色は何?」
ヤオは海を見ていたので、波の音で声が消えたかなと思い、アミュテュスをちらりと見た。相手の視線に捕まった。子供のような質問をしたことを後悔した。今からでも、この砂浜の砂の組成を、クイズ形式で教えてあげたら盛り上がるだろうか。
{りぇむおんいりょ}
アミュテュスは久々にギター喋りをする集中のために、顔が怖くなったのだった。ヤオのこころには淡い光が灯った。
「レモン色。似合うよね。好きだ。僕も……」
アミュテュスが着ているものや、持っているもので、黄色よりも爽やかに明るい色、レモン色があることを認識したし、彼女が身につけているからこそ、その色が特別になった。
{いあおやぁ}
「僕は、そうだな、銀、かな」
──それ、色っていうの。
「植物には出せない色に、憧れるよ」
{りやあ、はまふいも、ぃりょなんょ}
「タマムシかあ。きわどいところだな。あれは、緑のような、茶色のような、紫にも見えるし」
{りんみょ、ふぉーれし}
「銀は、そこまで振れ幅はないから、あれは色だよ」
ヤオは、アミュテュスの目力とギターの音に全身全霊を傾けて、言わんとしていることを読み取っていく。
{まうぁじの、ひろで、くわく、でふ}
「そう、そこがいい。周りの色を邪魔しないけど、あると、ちょっと華やかになる。金色よりも控えめだし」
{ヤオ、みたいに}
アミュテュスはわざと指の力を抜いて、うんと拙く奏でたつもりだった。聞き取れなくて目を白黒させるヤオを想像して、わずかに微笑んでもいた。ヤオはからだごと彼女の方を向き、しっかりと、目を見ていた。アミュテュスはヤオの瞳に銀色の、ヤオはアミュテュスの瞳にレモン色の閃光が走るのを見た。朝日が昇った。
つづく






