千年王国ファンタジー|幻想聖典 エスキャトロギヤ 第23章 杯
第4話 乾杯
フェリックスのあくまで謙遜な態度が、アミュテュスにとっては崇高にも諦念にも感じられる。
{殿下に、恐ろしいものはないのでしょうか?}
「人に失望されることに関しては……? 慣れたよ」
{慣れると言うのも、不本意でございましょう}
「一つ態度を極めたところで。今度は真逆をすることになるんだ。せいぜい慣れるさ」
ヤオの甲斐甲斐しい世話によって王が長々留まってくれているので、アミュテュスは、自らの面の皮の厚さに免じて、もっと切り込もうと決心した。
{しもべ共より長く生きておられる殿下に、伺ってよろしいでしょうか}
フェリックスにしても、この作戦において大部分を参謀格の王達が固めてしまったことに、ありがたいと思いながらも悶々としていた。話を聞いてくれる者が可愛かった。続けるようにと、視線だけで促した。
{召命というのは、どういったものでしょうか。【主】が、あなたをお選びになり、その御栄光の顕現が、注がれるというのは}
フェリックスは、ヰェナダーで取り囲まれた風と、大水が打ちつけるような声、魂を焼き尽くすまなざしを思い出した。
「見なかった程度に捉えることができ、やってもやらなくても自由、やったらやった分を御父にお喜びいただける。その恵みに越したことはないだろう──」
今でさえ、声はすぐそばにあるようであった。しかし今は思い出すほど、敗者であるような気がした。
「──人が見ないものを先んじて見、私を捕らえ、幻を生きるよりほか、道がないことに比べたら」
【主】の弟子として生きることにおいて、やってもやらなくても良いことなんてあるのか、わからんがな──。王は昼日中にワインを飲んだので、早々と痺れ、気安くなって、椅子の上に片脚を上げて、膝を抱いた。王は顔も身体もごく整った姿をしていて、彼が安らいでいる空間は、まるでそれで完成形というように、家具や皿や、そのほかの雑多な物も調和をみた。
アミュテュスは部屋の均衡の中で、王のこころにすき間があるのを見逃さなかった。
{殿下の今信じてらっしゃることは、私どもにはまだ見ていないことだと、おっしゃるのですね}
フェリックスは我に返り、何度か目をぱちぱちさせた。
「独特な詰め寄り方をする者だな。あなたというのは」
アミュテュスの目は強く、黒なのか、緑の瑪瑙の一番黒い部分なのか、絶えず揺らいでいて、知らず知らずに覗き込みたくなる。
「【主】には限界がない。人には限界がある。しかし、この目が幻を見たからと言って、【主】を試みることは、私だって避けたいよ」
{試みることと、幻に挑戦なさることは、この場合、いえ、いかなる時も、紙一重でございましょう}
「何が言いたい」
{私には、とても、恐ろしくて、申し上げられません}
アミュテュスの音は沈んだ。
フェリックスは、ヤオを見た。この意味を、青年は察しただろうか。
ヤオは王に対してさえ臆することなく切り込んでいくアミュテュスに見惚れて、いや圧倒されていたのが、王がしまいには、しまった、という顔でこちらを見たので、何が起ころうとしているのか悟った。
イツダテからヰェナダーまで、短時間で移動する手段は菌魂転送しかない。イツダテ王は転送術を使えない。
しかし、王体が儚し、地に流されれば、三日後、現代でいうところの二日後の朝、からだはヰェナダーに上る。フェリックス王は召命がイツダテに礼拝を守らせることだと信じている。イツダテ王たちをシーダー社から解放したのち、礼拝に間に合わせるため、かくなる上は……あるいは確実に、王達をその手で儚するのだと、覚悟を固めている──。
ヤオは、動揺を胸の奥深くに沈め、その深い目で王を見た。
千年の時間を知る王は、ヤオの瞳の中に描かれた、花火のように開いて、空虚に落ちていく光のかけらを見届けるうちに、自らの幻が、ここにいる二人に映ったことを知った。
アミュテュスが奏でる。
{父よ。どうかその杯を殿下から取り除けてください。しかし、私の望むことではなく、あなたがお望みになることが、おこなわれますように}
「然り」
王は小さく呟いて、グラスにはもうワインが残っていないのに、薄く溜まった雫を飲み干すために、グラスを傾けた。
第23章 杯 終わり。第24章につづく






