千年王国ファンタジー|幻想聖典 エスキャトロギヤ 第23章 杯
第3話 王僕
フェリックスはヤオとアミュテュスの空間に割り込んだような気がしてたじろいだ。この青年は、うぶなようでいて、惚れた女性には抜け目なくつきまとうのだなあと、王にしても、雨に押しとどめられた思考のなかでじれったくなった。
車高が高く、王が目線よりだいぶ下になるので、ヤオは跪き、「しもべの姿勢」となった。
「お茶でしょうか」
王はヤオに離席を願うつもりだった。調理場は、まさに茶を淹れようとしているやかんが蒸気をたてていた。ヤオに知らない話をしにきたわけではない。また、王にしても、今日の気持ちのたるみようでは、アミュテュスの視線の強さに気圧されそうだった。
「そうだな、茶を頂こう。そこに座ってもよいかな」
王はヤオが答える前に車内に乗り込み、洗って拭いて詰んだ皿や布巾の乗ったテーブルを前にして座った。茶が蒸れるまでに、ヤオはごたごたしたものを別のところに運んだ。
「というか、酒はないか」
「酒、でございますか」
「そこの酒でいい」
フェリックスは棚の調味料と並んでいる瓶を指した。
「料理用の、ワインでございます」
「それでよい。たくさんはいらないから」
ヤオはせめて栓を開けてない安ワインを出してきて、グラスに注いだ。
「君たちはやらんのか」
アミュテュスは、王は話をしたくてここにきたのだと察した。ウクレレを構え、ヤオを見た。ヤオはさらに二つのグラスを用意した。王はこの頃反芻させた考えが煮詰まっていたし、あまり自由にできる時間が少ないため、一口ワインを飲み下すと、早速本題に入った。
「アミュテュス、君が知っているかどうか。イツダテの王達について」
{どのようなことでございましょう}
「彼らは、菌魂転送を使うか」
{菌魂転送とは、殿下が編み出された秘術のことでございますね。大地を伝って、瞬時に遠方に移動できるという}
「そう。メイ女王でも、誰でもよいのだが」
アミュテュスは表情をぴくりとも動かさなかったし、見ようによっては微笑んでいるようだった。
──菌魂転送は移動先で丸裸になったり、失敗するとからだが小麦粉かなにかのように真っ白になって、崩れてしまうのではないの。そんな得体の知れない術を、イツダテの王達、ましてメイ様が行うと、本気で思っているのかしら。
{恐れながら、そのようなことを、伺ったことはございません}
「そう、そうだね。すまなかった。忘れてくれ」
フェリックスは、たおやかに見えるほどそっと下を向いた。たちまちに疑問は解消してしまった。もうあとは適当に世間話をして、個室で昼寝でもしようと、また一口ワインを飲んだ。
{やはり、間に合わないのでございますね}
「何」
{今年の巡礼です。イツダテからヰェナダーまで、もはや間に合わないでしょう。殿下の転送術でもなければ}
フェリックスは視線をアミュテュスに合わせながら、同時にヤオの様子も伺った。間に合う、間に合わないの話をツユリとした時に、そばにいたのはヤオなのだ。ヤオはアミュテュスと時間を過ごす中で、あの時の話をしたのだろうか。
しかしアミュテュスは、この空間にフェリックスと二人きりであるようにまっすぐと見つめてくる。王はヤオを勘ぐるのをやめた。
「あなたは知っていて、ついてきたのか」
アミュテュスは、言葉ではなく音楽を奏でた。
そう。アミュテュスも身に染みてイツダテとフェリツまでの距離を体験していた。どんなに急いだって、一人では七日かかる。この行軍だって、十日かけてフェリツからイツダテに向かっているのだ。ヰェナダーまでともなれば、さらに倍はかかるのだろう。一方で、王の力、君主の力を信じてもいる。イツダテを出るまでは闇雲にフェリツへの猜疑心がなかったと言えないが、さすがは弓大陸で最初に建国されただけあり、王もその名に恥じるところがない。この王たち、そして言動は独特だが国々への愛情深さのあるフェリックス王であれば、あるいは……と思い始めていた。しかし、その王が、今、ここで、転送術について尋ねてきている。
「知っていて、信じてついてきてくれて、それで今また、失望した、という顔だな」
表情を出さなかったはずなのに。アミュテュスはフェリックスに気安くなっていた態度を、引き締めねばならないと思った。
{不遜な振る舞いを、お許しください}
アミュテュスの、白いとは言えない肌に、赤みが差した。王は視線を外した。長々と見つめては、楽師も恥ずかしかろう。
「なんで」
そんなことで気分を害することがあるのかと言いたかったのだが、「なんで許さなければならないんだ」と聞こえたかも知れない。
「正直なのは良い」
{私どもは王のしもべですから}
フェリックスは思わずヤオを見てしまった。ヤオは木の大皿に茶菓子や乾きものを山盛り入れて王に供するところだったので、まったくしもべ以外の何者でもなかった。対して、アミュテュスは初めに現れた臥に、ものすごい眼力で王を睨みつけたのを、フェリックスは忘れられずにいた。ふたたび目を伏せて口元を緩ませた。
つづく






