千年王国ファンタジー|幻想聖典 エスキャトロギヤ 第15章 枯れ骨の谷
第8話 天才
「やっぱり、南だよ。ここは僧房ががっちり押さえてる。僧房は、ヰェナダーと、フェリックスの息がかかってるからな」
コジマが、帰りの車の中で言った。車のシートを拳で神経質に叩きながら。サリーにとって、フェリックス王を呼び捨てにしている一般人は初めてだった。フェリックス王と懇意にしているらしきエフデだって、サリーの前では「三冠」と敬称しているのだ。
「南って?」
ロー・ジが聞いた。
「ずっと南、大陸の端の、イツダテだ」シーダーが言った。
「南の端は、カルメル島だよ」ロー・ジが指摘すると、大人たちは笑った。
「イツダテは、遠いなぁ」
シーダーは無精髭の生えた顎をこすった。男たちはこの話題をこれまでにも繰り返して来たようだった。
「イツダテでは、条約は関係ないの?」サリーが尋ねた。
もう一人の、いつ会っても田舎くさい顔に似合わず、髪に艶のある男ハゼが答えた。
「いやあ。どこだって変わらないはずだ。ただ、向こうは商人組合が王室と独立して動いてるから、商売がわりとしやすいって話だ。フェリツとも仲悪いしな」
「フェリックスへのあてつけか、ある程度見返りがあれば、採掘量にあんまり細かいこと言わないらしい。単に、王室が遺物に興味がないのかもしれないが」
コジマが言う。
「見返りって。賄賂?」
サリーが声を落とした。そこまで国が腐敗していたら、ヰェナダーが黙っているだろうか。
「というよりは、公共事業に遺物の再生資源を使うなら、っていう“てい”らしい。詳しいことは、わからんけど。そういう、情報だよ」
ハゼの言う「情報」には、どこか後ろ暗い響きがあった。
「だからさ」
コジマが被せるように言った。
「いっそ、イツダテの方が、俺らみたいなのはやりやすいって」
「たしかに、あんな物欲しそうな目で谷に通ってたら、何も盗らなくても、捕まりそう」
サリーはヘッドレストに頭をつけた。ロー・ジへの忠告のつもりで言ったのだった。しかしその、捕まりそうなことにまさに片足を突っ込んでみると、気持ちが大きくなっているのを感じた。慎ましい僧房生活で、諦めることを学んだ心が疼いていた。
* * *
それから、少年はたびたび、僧房の目を盗んでシーダーたちに連れ出された。海岸に採集に行くこともあれば、街について行くこともあった。そこにはサリーもいた。
やがて母親にも、息子の行動が知るところとなった。ナラはサリーを責めたかったが、襲いかかってきた現実と折り合いをつけるために、いっとき元夫や息子から目を背けていたのは事実だった。
ロー・ジは、父親が選り分けたゴミの中から二束三文で売り払っていた細かい部品を根気強く集めて、薬品と、卓上サイズの炉を駆使して金を精製してみせた。小石ほどもない、金の塊を少年に見せられたシーダーは、金と、少年とを行ったり来たり見た。
「母ちゃんに、やったら喜ぶだろうな」
シーダーは金を少年の掌に落として言った。
「サリーじゃなくて」
ロー・ジはこの頃には、人に話す時も、独り言のように力なくつぶやくようになっていた。
「ナラだろ。母ちゃんは、ナラ」
シーダーはロー・ジに背を向けたまま言った。
母ナラが、その小さな金の塊を、少年の部屋の窓枠の上に見つけた日、少年とサリーは帰らなかった。それきり、帰ってくることはなかった──。
* * *
「ロー・ジとかいう少年は、天才だな。や、もう今は、少年じゃないのか」
ルツはエフデ僧による物語から我に返り、知らず知らずのうちに没頭していたために、長くため息をついた。
「金を精製してみせたことが?」
ツユリが右眉を上げた。当時の年齢を考えれば、知識量はすごいが、子供らしい純粋な発想の集積と言えなくもない。
「というか、影響力かな。父はそれでイツダテに移住を決めたんだろ? そしてサリーまで、僧房から連れ出したんだから」
王クアンキも、登場人物たちと旧知の仲のような気持ちになった。
「サリーはシーダーとつきあってたんだろ? ただ流れに身を任せたと言えやしないか」
「そうだけど、その流れを作り出したんだろ」
話が終盤に来たとみて、一同は息をつき、各々がぱらぱらと感想を述べる。エフデも、話を畳み始めた。
「大人と共に旅立った少年は、当時まだ、十歳かそこらだったから、ナラの、母親の悲しみは大変なものだったよ。シーダーはもちろん、サリーに対しての怒りもあった。でもナラは、子供を追わずに、自分から帰りたいと願えば、その時に手を貸そうと、待つことにした。シーダーに、子供の無事を、定期的に知らせることを、当局に通報しない条件に」
ルツが尋ねる。
「ヤオ兄さんには、知らせなかったのか」
「サリーは四十になっていた。これが彼女の自立であるならばそれでいい……兄の生活を再び乱すことはないと思った。そのように考えた理由はちゃんとあって……」
エフデ僧はそこまで話しておきながら、言いにくそうに、しばらく口を半開きにした。
「……演習林での不倫騒動では、夫の妻から慰謝料の請求があった。支払いがあるまで、サリーは国を出られない。兄が、恋人との結婚のために準備していた資金を差し出した。妹の将来のために貯めていた資金は、彼女の旅費として持たせるために。請求はさらに多かったけれど、私も交渉に入って、足りない分を免除してもらったんだ。サリーには知らされなかったことだけれど。というのは、ヤオから口止めされてたからね……相手の夫婦も知らない。サリーが兄の財産を使ってしまったと知れ渡ったら、きっと二度と村には帰ってこられなくなる。ヤオは、いつかは妹が帰ってくることを願っていたから」
ルツのそばに座っていたサバ女王は音もなくクッションから立ち上がり、窓を開けに行った。風を入れると、そのまま立ち尽くして長いため息をし、外の景色を眺めた。
「それなので、私はひとまず、ロー・ジとサリーがイツダテに到着し、ロー・ジがホームシックにかかることなく青年になり、シーダーが起こした会社は軌道に乗った、というところまで追いかけたあとは、一切を【主】の御手に委ねることにした」
「ところで、あなたはここまでの詳細な話を、誰から聞いたんだ?」
「シーダーの仲間が一人、土壇場で踏みとどまって、エッケブレに残ったんだ。彼はその後、僧房にもよく遊びにくるようになって、親しくなったんだよ。彼は、今もシーダーとつかず離れずにやりとりしているよ」
王、女王たちは、物語の意外な支流に、わずかに心を和ませた。
「ひと月前、ヤオから洗礼式の知らせを受けた時は、妹からも彼に一切の連絡がなかったことを知ると共に、二人ともそれぞれに、健勝にしているのだろうと、嬉しくなったよ。だが、兄の方はさておき、片方は安住の地にあっても、己の生き方を定められなかったということなのか。その姿は呪われ、生まれた地へ戻ったはいいが、ついには死に捕らわれてしまったとは」
エフデは、妹の帰郷と消滅によって、少なからず動揺したはずの兄のこころと生活を思いやり、声を低くしたが、すぐにきっぱりと言い放つ。
「私がサリーについて、知っていることは以上だ。結論としては、サリーはフェリツに生まれ、エッケブレで生き、イツダテで老いた」
僧は根をガラスのボールの中でまたふわりと動かした。窓から差した日が、ボールを通り抜けて、寄木細工の床に水の影をゆらめかせた。ツユリは床で踊る模様を見つめた。
「死が、彼女を捕らえた。フェリツで……百歳に、至る前に」
「冒険者に」
ルツが黙祷した。一同は各自しばらく祈った。
第15章 枯れ骨の谷 終わり。第16章につづく






