千年王国ファンタジー|幻想聖典 エスキャトロギヤ 第15章 枯れ骨の谷
第4話 僧房
──私エフデはツァヴァヰェ人であるが、護教師としてエッケブレ国の西の果ての僧房、カーサブランコに奉仕している。護教団は定期的にヰェナダーと僧房を往復しながら、旅程の中で各地を訪ね、人々に【書物】の言葉を解き明かすことも、働きとしている。
千年王国紀八三九年、私たちはヰェナダーから僧房へ下る途上にあった。フェリツ国にも立ち寄り、この年に令主となったルツ女王への祝福を済ませたのち、名高いレヘム村、つまり演習林に立ち寄った。
あなた方には言うまでもないが、村の歴史はフェリツ建国以前に遡る。森は古く、恵み豊かで、どこか現世離れした空気さえ漂っていた。民も穏やかで優しいが、「幼子」たちの中には、守られ、閉じられた環境のため、【書物】が語ることを、お伽噺のように感じている者も多く見受けられた。
互いの愛の楽しみのために、実の子供たちへの愛情を疎かにする親もいた。ある家庭では、両親が存命で若くありつつ、兄が、妹を育てていた。兄の名はヤオと言った。妹の名が、サリーであった。
「両親とも、生活の糧を得るために、子育てより仕事に精を出していた、ってことではなくてか?」
ルツが言葉を挟んだ。
「いや、実際二人は……両親は、母親が植物画家で、父親が樹木医見習いだったが、仕事をそっちのけで、手に手をとって、野山に隠れ、遊んでいた。兄の方は、祖父母に育てられたとのことだった」
ルツは兄の方に今朝方会ったばかりだったので、青年の印象を反芻するように、持ち込んだ大きなクッションに身を預けた。
エフデはしばらく、水の入ったボウルの中で、右に左に白い根を動かした。水を飲んだようだった。
──兄妹には祖父母がいたので、彼らが、兄妹を見守っていた。父方の祖父母だった。母方の祖父母は、娘が結婚してすぐに旅立ったとのことだった。
兄はつかみどころのない青年だったが、妹の世話を苦にすることなく、保護者であるという責任を持っていた。しかし妹は、私が出会った頃には、二十代半ばだったが、心が成長しきらず、兄を含め、周りの人々との接し方に、苦しむようになっていた。ふらふらと遊び歩いて、村と町とを行き来していた。
彼女ほどの年齢の女性に優しく接する男性になら、やすやすと身を委ねるようになっていた。未婚だろうと、既婚だろうと。そしておそらく、一番身近な異性であって、決して手に入ることのない兄が、いつまでも自分のものであってほしいと、願っているようだった。
私はこの家庭を案じていたので、せめて兄を力付けてやりたいと思った。レヘム村に滞在し、【書物】の読み解きをしばらく手ほどきするうち、彼の信仰を確認できたので、献身の表明として、まだすませていないという洗礼を勧めた。兄は喜んで同意してくれた。
しかし妹は、こともあろうに、兄の洗礼の日に、自らの恋人を、しかも妻子ある身の男を、式に招いたのだった。
近隣の町の男だったので、ことはその場で明らかになった。しかも、夫を怪しんだ妻さえ、その場に来ていたのであった。またたくまに騒動となり、兄の洗礼式どころではなくなってしまった。というよりは、兄自身が、その日に洗礼を受けることを、辞退したのだった。
「サリーは愚かだと思うが、なんで、大好きな兄の式を、乱すようなことをしたのだろう」
ツユリは言った。ルツは肩をすくめた。
「人のパーティでも、自分が主役だと思いたがる奴がいるものさ」
女王は太い首を振った。
「その時の自分にとって、一番楽しいと思えることをするのが、彼女にとっての参加であり一体化ってことだ。もしくは、兄さんの祝福の場にあやかって、不倫の恋人との関係も、祝福を受けると思ったかもしれない」
エフデはうなづくことができないかわりに、またふわりと根を動かした。
──事態は、不倫相手の妻の激しい申し立てによって大きくなってしまったので、サリーには何らかの処分が下ることが望まれた。当分町に出ることができなくなるし、村の中を歩き回ることさえ、憚られるように思われた。サリーは、幸か不幸か、狭い場所に閉じ込められるほど、暴れ回るか、暴れられないとなると、腐り始めるような女だった。
「幸」というのは、私が見かねて冗談半分で、護教団についてくるか? とたずねたことに、食らいついてきたこと……サリーには逃げ道ができ、村は、ていよく厄介払いができたということだ。対して「不幸」というのは、彼女の本質は、外側の生き方や、生きる場所が変わったところで、簡単に変わるものではなかった、ということだ。
私はもしかしたら、兄の方に、逃れの場を作ってやることもできたかもしれない。しかしヤオには将来を決めた恋人がいたし、どちらかというと、納得するまで考えたのちに行動を起こす性質の人間だった。この一件で深く傷つき、生まれた土地で、愛する人々と共に、癒されることが最善に思われた。
だから兄について洗礼を施すことはないにしても、あとは【主】の御手に委ねることにした。ある意味、この一件がヤオのこころを砕き、妹から兄を解き放ち、本当の意味で自立を促す通過儀礼となることを願った。
* * *
私たちは妹を連れて、西へ旅立った。道中、【書物】の解き明かしを授けた。それが条件だったから。サリーは初めこそ、異国の旅暮らしに苦労していたが、やがて慣れ、歩みを進めるほどに体力もつき、血色が良くなった。
三年後、西の果て、カーサブランコの僧房にたどり着いた。海に面し、恵みも豊かだが、問題も根深かった。そもそも護教団は、土地にまつわる「遺物」の問題のために組織されたのだから。
ただ千年王国紀八百年代に入っては、「遺物」の盗掘それ自体の問題も下火になり、我々は見かけにおいては平和な生活を営み、かの地に定住した。そしてそれが、止まった途端に水が腐り始めるサリーのような女性にどれだけの影響があるのかを、数年の教えを施してきた自負の生まれていた私は、軽んじてしまった──。
エフデが少し黙り込んだので、ルツがたずねた。
「あなたの言った問題とは、『ヨシャパテ条約』に関するものでいいんだよな。フェリックスが、エッケブレの漁業団体とやり合った」
「さよう。彼らは漁のついでに遺物が網にかかってくるのを、はじめは小遣い稼ぎに片手間で集めていた。だんだん知恵をつけて、本業にしようと目論んだ。網にかかるだけならいいのだが、漁もそこそこに、遺構を探し当て、掘り返すようになっていった……というのが、エッケブレに関する遺物問題の背景だ」
──エッケブレの西海岸は、湾や入江が多く、遺物が潮に乗って浜に流れ着く。ヨシャパテ条約が制定されてからも、漁に出られない者や子供などが、浜辺で遺物を採集し、分別し、再生資源として売り、駄賃を得る。その程度のことは、エッケブレの王も、そして私たちも、咎め立てはしなかった。
あの日、私たちの僧房を頼った女性──その夫も、はじめは一家の生計を助けるつもりで、遺物に手をつけた者だった──。
つづく






