千年王国ファンタジー|幻想聖典 エスキャトロギヤ 第9章 けがれている!けがれている!
雨は激しさを増し、蓋光林の下であっても、落ちてくる雨だれが大きく、重たくなってきた。ヤオは柳籠の上から外套のフードをかぶっていたが、水はとうににじんでいた。馬は黙々と荷を引いていたので、その歩みに引きずられるようにして、足を運び続けた。目に入る人が少なくなったので、遠慮なく、保冷庫の妹を話し相手にした。
「今回も君は、僕の洗礼を妨害しようとしてるな。そんなに僕は、洗礼に向かないのかな?」
返ってくる言葉はなかった。最近までのサリーがどのように考え、相槌を打つのかを知らなかった。もっと知る前に、死に捕まってしまったのだ。昔のおもかげに、老いた姿が浮いたり沈んだりを繰り返した。
「あっちでの、生活はそんなに大変だったのか? オイが治らなくなるまで、ほっとくしかなかったのか? 周りの奴らも似たり寄ったりだとか?」
西で禁欲的な僧房生活を送るなかで、ここまで枯れてしまったのかもしれない。
「手紙でもくれれば、呼び戻せた、かな。いや、僕こそ、出さなかったんだけど」
妹が村を出た後、立て続けに両親や祖母が旅立ち、家庭が暗くなり、オルクク共々落ち込み、一心同体でいたはずのマロニエにさえ愛想をつかされ、暗黒の時代が続いた。サリーが三年の旅を経て僧房に着いたという知らせを受けた時も、まだ山に籠っていた。だんだんと立ち直り、その後は仕事に打ち込んだために、妹と文通をしようなどという発想はなかった。文通には切手が必要だ。切手を買うには現金がいる。現金はオルククが管理しているし、そもそも買い物を習慣にしていない。
「君がいなくなって、しばらくは、あのエフデとかいう、護教師に、君が一目惚れしたから、彼らについて行ったんだと、噂する人がいたよ」
エフデ。そう、エフデに、妹のことを全て、任せたつもりでいた。
「けがれている! けがれている!」
しかし、僧は、妹を護ってはくれなかったのか。
「君に、優しくしてくれる人はいたか? しょうもない恋愛じゃなくて。父さんも、母さんも、それなりにしょうもないところもあったけど、恋人同士としては、理想のお互いだっただろうな。子供たちさえほったらかしで、お互いに夢中だったなんて……君にとっても、そういう相手がいる、と、夢見る、事自体は、まちがっては、ないよな……けがれている! けがれている!」
――あれ? そういえば、父さんと母さんに、連絡をするかな? サリーが死んだと……いや。それはない。なんで? ……興味は、ないだろう。生まれたとき、ほどにも。ほんとにやらなきゃいけないことなら……確定申告みたいに……オルククが手配するだろう。
サリーが生まれたときは、村の中で、それなりにお祝いがあった。遠い友達や親戚に手紙を出す手伝いもした。死の時は、そういうのがないのだろうか。一人のいのちが、陰府に送り出される時には。
あるとしたら、どうするんだろう。赤ん坊の時みたいに、死体のお披露目があるわけじゃないにしても……死体を運んでくるのは、早計だったか? 死体は腐るしな。腐りゆく死体を、みんなで囲んで、泣いたり、マロニエみたいにずっと昔のこと掘り返してみたり、人前で取り乱してみたり、するものだろうか。死体を囲む会をやりましょうと声掛けしたら、それこそ頭は確かかと、疑われはしないだろうか。
「たしかに、死体は、一人には、重すぎるもんだ」
なんで、猫が死んだり、馬が死んだり、羊を屠ったりした時に、人間だったらどうなるかと、考えなかったのだろう。護教師エフデが教えてくれた【書物】には、死が書かれていた。死と埋葬が。でも今の人間が生きる世界とは、だいぶ様子が違ったと教わった。過ぎ去った時代の話だと。だから、死の話に立ち入るものではないと思っていた。
「だって、僕たちの愛と、いのちは永遠だ……。そうだろ、エフデ」
そのように教え諭してくれた僧は、しかし、妹の呪いを見過ごしたのだ。実際、まだ、人は死ぬのだ。呪われだってする。サリーが手に負えなかったのは、そもそも呪われていたからなのか。その兄はどうなんだ。
「けがれか」
立ち止まり、自らの姿に思い巡らせた。あまりに一人だった。一人で森に分け入ったり、山の斜面でぼんやりするのとは違っていた。息子を祖父に押し付け、娘は兄に任せて遊び歩いていた父と母でさえ、お互いをかけがえのない者として、村を出て行く決心をしたときでさえ、一緒だった。今、自分はここで、妹を──死体を連れ合いに道を歩いている。
馬と荷を見た。今更ながらやたら大袈裟だ。よくも、まあ、言われるがまま、こんななりで人前を歩けたものだ。保冷庫を貸してくれるなら、とりあえずサリーを入れておいて、一人で、街に今後のことを聞きに行くでもよかった。その方が早かったものを。なんで何も言ってくれないかな。普段どうでもいいことには気が回るくせに。いや、僕が行くって言い出したんだけど。人間の死体を入れた保冷庫なんて、もう使い物になるわけないじゃないか。持って帰ったって、マロニエのことだ。「捨ててきてくれなかったの?」とか言いそうだ。
村の奴らだって、サリーにろくに挨拶にも来ない。オイがそんなに怖いか。職人ぶって。大公の森をウロウロしてるだけで得意げにしやがって。サリーだって森で生まれたんじゃないか。奴らのことだ、妹はおろか、父さんも母さんも、なんなら僕だって呪われていると思っているに違いない。ああ、そうさ、僕はけがれている。なんなら呪われている。呪われたやつが引いてた馬と、保冷庫を、死体ごと、180度回して、お前らの森に突っ込ませてやろうか。
視察団だって、都会人のくせに、インテリ気取りで、ちょっと人が呪われたくらいでしっぽを巻いて逃げ帰りやがって。ろくに医者もよこしゃしない。綺麗な服を着ていれば満足か。この馬と保冷庫と死体を、フェリツ城に突っ込ませてやろうか。自分らの国のことだ。自分らでどうにかすればいいじゃないか。
「けがれている! けがれている!」
道には誰もいなかったが、とりつかれたように繰り返した。国の中心で真っ黒な毒気を立ち昇らせる、へそになった気分で。
第6話 孤毒 おわり






