
千年王国ファンタジー|幻想聖典 エスキャトロギヤ 第9章 けがれている!けがれている!
第1話 永眠
サリーはまた眠りについたようだ。枯れ枝のような腕が差し出されたままに。ヤオは包んでいた妹の手を、掛け物の中にしまった。
戸口にそっと人が立った気配がした。祖父のオルククと、マロニエの夫のハンだった。ヤオとサリーを見て、何かを言うべきかと様子を伺っている。ヤオは立ち上がり、足音をしのばせ、男たちに近づいた。
「見てよ、サリーったら、相変わらず、目を開けたまま眠る癖があるんだな」
オルククは、部屋の影に沈むサリーをじっと見て、躊躇に縛り付けられ、衝動に突き動かされ、ぎこちなく寝台に近づいた。まずは老女の鼻先に手をかざした。そのまま首筋に触れ、掛け物の中の手を出し、手首に触れた。そして、ヤオが今まで聞いたことがないくらい、重い声で、まるで部屋の隅に蠢く影を叱りつけ、退散を命じるように言った。
「ヤオ。死だ。サリーの」
声があまりに強かったので、ヤオとハンは、まるでこれから何かが動き出すために、用事を言いつけられたのだと思った。実際には、永遠に動きを止めてしまった者があることの宣言だった。オルククにしても、若者たちが何か気の利いた発言なり、行動なりを知っていて、すぐに取り掛かってくれることを期待した。よって、三人はその場に立ち尽くすしかなかった。
「……シ?」
ファ、ソ、ラの、次のやつか?
ヤオは、さっきまでウクレレを触っていたので、つまらない冗談を言い聞かせて、仮にも医者のまねごとをしているオルククが、サリーに手当てを始めるのを待った。
「サリーなのか? お前の、妹なのか? 死が、彼女を捕らえたと言うのか?」
ハンは、老いと死の、二重の意味で変わり果てた旧友が横たわっている戸惑いを、脈絡を考えずに吐き出した。まだ誰かが声をかければぱっちりと目を覚ますのではないかと、サリー、と呼びながら近づいた。しかし実際、老女は眠っていると言うにはあまりにも脱力し、止まり、口元をわずかに開き、歯が小さく覗いていた。
ヤオは本で仕入れた知識を引っ張り出した。
「待って。死じゃない。『儚』じゃないのか?」
「呪われた、死とされる。百歳に、満たないと」
オルククは一語一語を吐き出すように言った。
ヤオはふたたびベッドに近づいた。これまで九十年近い人生で、すれ違いもしなかった、「老い」だの「呪い」だのが、今日一日で、一体どこから沸いて出たのか。挙句、「死」さえ立ちはだかって来た。まるで無力で無知な子供に戻ったようだった。その三つについて、ほとんど何も知らない。室内の空気は硬く、両脇にあざみの茂った道を、身を細くして進んでいるような、張り詰めた静けさに満ちていた。死者が徹底して無防備なだけに、扱う者の態度が試されるのだった。
「ヤオ。サリーは、死に渡された。塩の柱にならないってことは、儚じゃないんだ。馬や、牛や、鳥と同じやつだ。念の為、もう少し待ったっていいが。死は、待ったって、いずれ起きあがるとか、そういうもんじゃない」
オルククは、ヤオが身をすくませるので、知っている限りの、死についての情報を言ったが、心もとなくなった。死についての知識があまりにも少なすぎて。それでも、普段なら気にも留めない室温が、死人にとっては暖かすぎることが気になり出した。
「もう少し、部屋を涼しくするか」
その一言や、次にするべき行動が、すべて死者のためにすることで、一歩一歩、彼らは、サリーの死をこころに明らかにしていくのだった。
「じゃあ、じゃあ、犬や、猫みたいに、サリーも埋めることになるの?」
ヤオは怯えた子供のような口調でオルククに尋ねた。
「おれの、じいさんの、じいさんなら、もっと詳しく知ってるかもしれない。でも、隣町にいるからなぁ……」
ハンは頭を掻く。例によって、田舎の隣町とは、徒歩で何時間もかかる距離なのだった。
オルククもハンにつられて、額に手を触れてこすった。死者をどうするか、正式な方法はどうだったか。このあたりで死が出たのは、ハンの言うとおり、祖父の代、そのまた祖父の時だと聞いたことがある。
王国では、無事に百歳を超えて栄化が認定され、さらに年齢が数百年に達するころには、物はおろか場所への執着もなくなり、国の会堂の奉仕者になったり、大きな街で小さい部屋を借りて気楽に過ごしたり、ヰェナダーまで徒歩で巡礼がてら旅に出て、風のようにいなくなるのが常だった。
演習林は四百歳あたりが最高齢であり、人里から離れ、王の森として敬われてもいたので、緑の孤城のような場所だった。現在の村民たちは、幸か不幸か、今まで呪いや死から切り離されていたのだった。
「視察団の方々は、フェリシティの医師会に、知らせてくれるって言ってたな。医者なら──人間を診る医者なら、死者の、正しい扱い方を、教えてくれるかもしれない。埋めていい場所とか」
オルククは言った。
「いつ来るんだろ?」
ハンが言った。
「わからん。早く来てくれるとは思うが」
ヤオはもう待っていられなかった。サリーが倒れ、視察団が引き上げてから、これまで半日は時間があったのに、医者が来なかったのだ。
「僕が、行ってくるよ。医者を呼んで、いや、サリーと一緒に行く」
オルククもハンも、街まで死体と歩こうという、青年の言葉に驚きつつ、死体をいつまでも村に置いていても、どうしようもないことはわかっていた。臥が開ければ、村中の者が集まって来て、騒ぎはいっそう大きくなるのだ。
「大丈夫かな。死んだ体は、暖かいままだと……わかるだろ?」
祖父は、今でさえ刻一刻とサリーの体が朽ちようとしていることが気になって仕方がなかった。
ハンも、オルククの心配に影響された。
「冷やしながら、冷やしながらいかないとな。氷か? 冷却機の効いたポンパドーターは、それも、隣町から持ってこないと、ないな」
「馬に二人乗りじゃダメかな」
ヤオは初めからそのつもりだと言いたげだ。
「柳籠を被せれば、寝てるように見えるか」
ハンは同意しかけた。
「保冷庫……」
男たちがうろたえている後ろから、女性の声がして、三人は振り向いた。戸口にもたれて、すっかり状況を飲み込んだマロニエがいた。表情も無く言った。
「サリーだったら入るかな」






