千年王国ファンタジー|幻想聖典 エスキャトロギヤ 第8章 老い
第10話 拒絶
サリーの夢を支配していた不快感が、体の痛みとなって眠りを浅くした。
耳元でかすかにギターの音がする。まとまりのない、持て余しているような音だ。最近狂ったような速度で移動をしていたような気がするけど、全部生々しい夢だったのか。もしかして、また熱で倒れてしまったのだろうか。身体中が痛い。股の下と、腰と、頭が特に痛い。大して効かないけれども、痛み止めを飲まなくては。
それにしても、アミュテュスにしては随分耳障りな音を出して。新しい方向性を模索しているのだろうか。本当に、この子はどこにいたって、病人の枕元でだってギターを離さないんだから……。
「下手に弾いて。どうしたの」
ふっと、サリーは笑った。
ギターの音が止まった。
覗き込んだのは、音楽家よりももっと懐かしい青年だった。五十年前に別れた時のままなので、まだ夢が続いているような気がする。まさか、今まで通過した人生のほとんどが、夢だったとでもいうのだろうか。
青年にしても、五十年前の繋がりの延長に、笑いかけるのだった。父の暖かさと、兄の責任感で。
「ヤオ」
サリーは兄の若さに呼応するだけの力を出そうと思ったが、ろれつがまわらなかった。かろうじて、ヤオの名前が短く簡単なので、息を吐き出す中で、音が形作られた。
ヤオはウクレレを置いて、サリーが起きるのを助け、水を飲ませてくれた。村の集会所の医務室にいた。水を入れた水差しも、コップも、懐かしいを通り越して、見慣れたもので、ガラスについた水垢さえ、変わっていないように思えた。ただ、口をつけた自分の唇は衰え、息と、水を飲み下す音は、老いていた。
水を飲むと、いくらか気分が明瞭になった。
また横になり、毛布にくるまり、兄を見た。窓は鎧戸が閉められ、ルーバーからわずかな光が滲んでいた。この森独特の水色の光は、早くも見慣れたものとなった。今はもう深臥であるのだろうと、体がこの土地での時間を思い出した。
ヤオは特に暇そうでも義務的にでもなく、横に座って、臥の明かり取りのための小さな光ファイバー灯の下で、ウクレレに指を当てていた。はやばやと、サリーを空気のように感じているのだ。サリーは無条件に許される近さにむず痒くなった。
「ヤオ、プラネタリウムって知ってる?」
ヤオはウクレレから目を離してサリーを見た。記念庭園の着想を得た、前人類の特殊な空間を、今まさにサリーが口にしたことに、肉親としての共鳴を感じたのだった。
「知ってるよ。サリーも何かで読んだ?」
どう答えればいいのだろう。今見て来たところではあるけれど、どこかで読んで覚えたことで、夢に描かれたのかもしれないし。
「ねえ、なんでわざわざ、昔の人はあんな、天体の似姿を作ったんだと思う? 闇が一日の半分あって、星を見ることができたのに」
「『夜』の姿を留めておいて、昼でも星の研究ができるように、したんじゃないの?」
サリーは問いの答えを、ヤオに求めるのではなく、すでに知っているから、尋ねたのだった。
「違うわ。あそこはね……デートスポットだったのよ」
「デ、デートスポット?」
ヤオは、デートもスポットも、別々の言葉として知っていたが、繋げて使うとは思わなかった。デートは、ちょっと雰囲気のいい林道を、ぶらぶらするんじゃだめなのか。確かにスポット的にここぞ、というきれいな場所はあるけど。
サリーの目は、星空を眺めるように恍惚とした。
「完全に美しくて、安全な夜は、いつでも見られるわけではないから……きっと。特別な時間を、特別な人とだけ過ごしたいっていう。そしたら、『永遠』に、触れられるような気がするから」
宙に描いた「永遠」の姿を絡めとるように、手を浮かせた。
しかし、ヤオの目は深く涼しくなった。二人の周りにある影よりも澄んだ深さだった。サリーの皺のある手を取って、父親が、大事な子供に、言うべきことは言わねばと決心したときの真剣な表情になった。
「僕たちの、愛は永遠だよ」
──「僕たちの」って、誰? 私と、ヤオ?
サリーの心臓が痛いほど脈打ち、目が眩むほどだった。ヤオと触れ合う手まで、振動が伝わってしまいそうだった。ああ、もう、何も探さなくていい。私を求めてくれる人が、すぐここにいるんだから……。しかしヤオを強く見つめるほど、男にしてはすらりと長い指や、野心のない、田舎くさい顔立ちや、美容院と縁がなさそうな髪が目についた。これを受け入れなければ愛は得られないのか。言っちゃ悪いけどがっかりだわ。世界には、柳の刈り込み以外に大事なことがあるんだと分かったら、兄さんもちょっとは垢抜けるかしら……。
帰郷までの道のりで、ありったけ凝縮させたヤオへの集中力が一気にほどけた。サリーを支え続けていた期待感は、永遠から流れ出した裾に散り散りになっていった。最果てから転がり落ちる最後の時に、永遠を今まさに作り出している高みを見たような気がしたが、手を伸ばしてみる前から、もう力がないと諦めた。
第10話 拒絶 おわり


(幻想聖典エスキャトロギヤ 第一部完。第二部に続く)
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第二部を引き続きお楽しみください。






