第8章 老い/第5話 母国|千年王国ファンタジー 幻想聖典エスキャトロギヤ

 左翼のコンプレッサーが、今まで聞いたことのない音でうなりを上げ始めた。クラッチを握っても、アクセルを戻しても減速どころかどんどん加速していく。

 サリーは頭を殴りつける爆音に襲われ、ただハンドルを握り締め、左右に車体をぶれさせながら道路を突進していった。

 フェリツ領中心部に近づくにつれて、ぱらぱらと増えていたポンパドーターや馬車は、空に高々と響きながら近づきつつある暴走音を聞き、何事かと、路肩に車両を出し始めた。幸い、農地にかかる道で、道脇もひらけていたので、人々は早々とのどかな田園を騒がす異常事態に備えた。

──どうしよう。農地に突っ込んで、柔らかい地面に入ったら、スピードも落ちるかしら。

 サリーがなんとか上手に転ぶしかない、と覚悟を決めたとき、看板にぶつけてへこんだ箇所からパンと破裂音がし、勢いよく空気の抜ける音がして、エンジンの回転が落ちていった。

 ポンパドーターは徐々に速度を落とし、停止した。

 他の車両の人々や、牛を引いたまま立ち尽くした農民は、暴走したポンパドーターが大惨事を逃れ、何事もなく静まったのを見ても、しばらくは様子を伺った。きわめつけに爆発することもなさそうだと判断すると、息をついた。いく人かはおそるおそるサリーに近づいてきた。

「びっくりしたよぉ。あなた。大丈夫?」

 四輪ポンパドーターを運転していた女性が車から出てきた。バイクの運転手は暴走族の類ではなく、怪我もなさそうだが、いかんせんフラフラしている。

 サリーは、爆音の余韻で耳鳴りがし、もうハンドルに触る気が起きなかった。ヘルメットを被ったまま、まだ先の目的地を見やった。

「あなたどこから来たの? どこまで行こうとしてるの?」

「イツ……」

 サリーは体に力が入らず、声が籠るのでヘルメットを脱いだ。

「イツダテから。フェリ……演習林に」

 女は反対方向に行くところだったので、周りに声をかけ始めた。

「この人、演習林に行くんですって。誰か、乗せて行ってくれない?」

 人々は顔を見合わせた。マイクロバスの窓を開けて頭を出していた男、フィロロゴが、手を振った。

「ぼくら、ちょうど演習林に行くところだよ。一緒にいらっしゃいよ。いいよな、べつに」

 男は同乗者たちを振り返った。皆すぐに賛同した。

 女は、引き受けてくれる人がいたので喜んで、サリーを促した。マイクロバスは、『フェリツ農林管理局』と車体に書かれた、柳色のバスだった。運転手の他に四人の男女が乗り込んでいた。それぞれ薄手のマウンテンパーカを着込んでいる。

 運転手シデが降りてきた。

「荷物はどうしますか?」

 サリーを年長と見て丁寧に言った。サリーはシート後ろの物入れからバッグを取り出した。

「バイクは、このままで大丈夫よ。あとで取りに来れば。私、あっちの人に、しばらく傍に置いてもらえるように、言っておくから」

 女は、遠くで成り行きを見守っている農家の者を指して言った。

 人々はサリーをバスに導いたり、馬車やポンパドーターを道に戻したりなど、再びわらわらと動き出した。サリーはバスに乗り込むと右の窓際に座った。シデは、周りの秩序が戻ったのを確かめると、発進した。

 農林管理局員たちは、サリーがイツダテからフェリツまで、ポンパドーター一台で、何万スタディオンも駆け抜けて来たと聞いて驚愕した。

 サリーは何万スタディオンという距離を、七日で走り抜いたとは言わないことにした。皆親切だが役人然としているので、法定速度だの、一日の規定走行距離だのを持ち出されると、面倒だと思った。

「演習林へは、何かの調査ですか?」

 サリーは、話題をそらしつつ、局員たちが怪訝に思わない程度に、自身もかの地に縁があることを示そうとした。サリーを招いた局員フィロロゴが頷く。

「視察です。来年、王の代替わりがあるので、演習林の庭師たちが、戴冠記念の庭園を手がけているんです。進捗を確認しに行くんです」

 後ろの席から、人懐こい笑みをたたえた視察官ユニアが言う。

 「今回はかなり斬新ですよ。気鋭の庭師が設計を担当したんです。知ってますか? ヤオっていう方」

 サリーは驚いて振り返ろうとした。とたんに、頭に強い痛みが走り、顔を歪めた。

「大丈夫ですか?」同乗者たちは表情を曇らせた。

「はい、さっきは、だいぶびっくりしたので」

 初対面の手前、気丈に振る舞いたかった。

「あなたの旅の目的は何ですか? そんなに遠くから来たんですから」

 局員ヤソンは、場になじもうとするサリーを察して、話題を続けた。

「家族が洗礼式を持つというので、立ち会いに来たんです」

 皆一気にこころを和ませた。家族のために、わざわざ遠くから洗礼式に駆けつける。それほど麗しいことがあるだろうか、とばかりに。ユニアは、まるでサリーが小さい子供の母であるかのように、朗らかに言う。

「では、まだお若いご家族がいらっしゃるのですね」

 サリーは曖昧に笑って車窓にもたれた。彼らと自分と、兄であるヤオとがいちどきに出くわす可能性がなくはなかったが、細かい気配りをするには疲れ果てていた。

 視察員たちも、老女を休ませようと、それきりめいめいの時を過ごした。演習林が近づきつつあった。

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