千年王国ファンタジー|幻想聖典 エスキャトロギヤ 第8章 老い
左翼のコンプレッサーが、今まで聞いたことのない音でうなりを上げ始めた。クラッチを握っても、アクセルを戻しても減速どころかどんどん加速していく。
サリーは頭を殴りつける爆音に襲われ、ただハンドルを握り締め、左右に車体をぶれさせながら道路を突進していった。
フェリツ領中心部に近づくにつれて、ぱらぱらと増えていたポンパドーターや馬車は、空に高々と響きながら近づきつつある暴走音を聞き、何事かと、路肩に車両を出し始めた。幸い、農地にかかる道で、道脇もひらけていたので、人々は早々とのどかな田園を騒がす異常事態に備えた。
──どうしよう。農地に突っ込んで、柔らかい地面に入ったら、スピードも落ちるかしら。
サリーがなんとか上手に転ぶしかない、と覚悟を決めたとき、看板にぶつけてへこんだ箇所からパンと破裂音がし、勢いよく空気の抜ける音がして、エンジンの回転が落ちていった。
ポンパドーターは徐々に速度を落とし、停止した。
他の車両の人々や、牛を引いたまま立ち尽くした農民は、暴走したポンパドーターが大惨事を逃れ、何事もなく静まったのを見ても、しばらくは様子を伺った。きわめつけに爆発することもなさそうだと判断すると、息をついた。いく人かはおそるおそるサリーに近づいてきた。
「びっくりしたよぉ。あなた。大丈夫?」
四輪ポンパドーターを運転していた女性が車から出てきた。バイクの運転手は暴走族の類ではなく、怪我もなさそうだが、いかんせんフラフラしている。
サリーは、爆音の余韻で耳鳴りがし、もうハンドルに触る気が起きなかった。ヘルメットを被ったまま、まだ先の目的地を見やった。
「あなたどこから来たの? どこまで行こうとしてるの?」
「イツ……」
サリーは体に力が入らず、声が籠るのでヘルメットを脱いだ。
「イツダテから。フェリ……演習林に」
女は反対方向に行くところだったので、周りに声をかけ始めた。
「この人、演習林に行くんですって。誰か、乗せて行ってくれない?」
人々は顔を見合わせた。マイクロバスの窓を開けて頭を出していた男、フィロロゴが、手を振った。
「ぼくら、ちょうど演習林に行くところだよ。一緒にいらっしゃいよ。いいよな、べつに」
男は同乗者たちを振り返った。皆すぐに賛同した。
女は、引き受けてくれる人がいたので喜んで、サリーを促した。マイクロバスは、『フェリツ農林管理局』と車体に書かれた、柳色のバスだった。運転手の他に四人の男女が乗り込んでいた。それぞれ薄手のマウンテンパーカを着込んでいる。
運転手シデが降りてきた。
「荷物はどうしますか?」
サリーを年長と見て丁寧に言った。サリーはシート後ろの物入れからバッグを取り出した。
「バイクは、このままで大丈夫よ。あとで取りに来れば。私、あっちの人に、しばらく傍に置いてもらえるように、言っておくから」
女は、遠くで成り行きを見守っている農家の者を指して言った。
人々はサリーをバスに導いたり、馬車やポンパドーターを道に戻したりなど、再びわらわらと動き出した。サリーはバスに乗り込むと右の窓際に座った。シデは、周りの秩序が戻ったのを確かめると、発進した。
農林管理局員たちは、サリーがイツダテからフェリツまで、ポンパドーター一台で、何万スタディオンも駆け抜けて来たと聞いて驚愕した。
サリーは何万スタディオンという距離を、七日で走り抜いたとは言わないことにした。皆親切だが役人然としているので、法定速度だの、一日の規定走行距離だのを持ち出されると、面倒だと思った。
「演習林へは、何かの調査ですか?」
サリーは、話題をそらしつつ、局員たちが怪訝に思わない程度に、自身もかの地に縁があることを示そうとした。サリーを招いた局員フィロロゴが頷く。
「視察です。来年、王の代替わりがあるので、演習林の庭師たちが、戴冠記念の庭園を手がけているんです。進捗を確認しに行くんです」
後ろの席から、人懐こい笑みをたたえた視察官ユニアが言う。
「今回はかなり斬新ですよ。気鋭の庭師が設計を担当したんです。知ってますか? ヤオっていう方」
サリーは驚いて振り返ろうとした。とたんに、頭に強い痛みが走り、顔を歪めた。
「大丈夫ですか?」同乗者たちは表情を曇らせた。
「はい、さっきは、だいぶびっくりしたので」
初対面の手前、気丈に振る舞いたかった。
「あなたの旅の目的は何ですか? そんなに遠くから来たんですから」
局員ヤソンは、場になじもうとするサリーを察して、話題を続けた。
「家族が洗礼式を持つというので、立ち会いに来たんです」
皆一気にこころを和ませた。家族のために、わざわざ遠くから洗礼式に駆けつける。それほど麗しいことがあるだろうか、とばかりに。ユニアは、まるでサリーが小さい子供の母であるかのように、朗らかに言う。
「では、まだお若いご家族がいらっしゃるのですね」
サリーは曖昧に笑って車窓にもたれた。彼らと自分と、兄であるヤオとがいちどきに出くわす可能性がなくはなかったが、細かい気配りをするには疲れ果てていた。
視察員たちも、老女を休ませようと、それきりめいめいの時を過ごした。演習林が近づきつつあった。
第5話 母国 おわり






