第1章 王封じ/第7話 崩御|千年王国ファンタジー 幻想聖典エスキャトロギヤ

第七話 崩御

 

 バジリオの屋敷──。

 夕刻になって、ローリエ婦人が暇〔いとま〕をしたので、アミュテュスはこもっていた自室を出た。屋敷の屋上テラスに、十二弦のギターを持ってのぼった。

 アミュテュスは、南の離島から才能を見出されて召し上げられた宮廷楽師だった。城内に豪華な部屋があてがわれ、メイ女王の寵愛を受け、何不自由なく暮らしていた。

 城がこのほど全面改修に入り、新しいチーズ熟成庫を作るだの、水道管を取り替えるだので、仮住まいを余儀なくされた。王族の側仕えの者たちには、例外なく言い渡された。

 宮殿の管理は全面的にシーダー社に委託されている。世紀の大改修が行われるにあたり、城は防塵幕で覆われ、王族の世話も引き渡されて、城門は閉ざされた。

 王室とシーダー社とは三十年近く前、先代のメイ女王の治世から付き合いがあり、現在の令主ブリュトリュスへと代替わりをした後に、大々的な業務提携が締結された。城の設備の管理、修繕に始まって、事務や経理を任せ、しまいには王達の公務の手配、スケジュール調整にいたるほとんどをシーダー社が請け負うようになっていった。シーダー社も下請けをいくつも抱え、もはやイツダテ城の運用を誰がどのように取り仕切っているのか、わからなくなっていた。

 

 イツダテの王室は建国当初から、王室の格調にこだわって、臣民とは一線も二線も引いていた。町民である商売人や職人らは、わりあいやりたいように、組合を作るなどして発展していき、独自の文化が成熟した。組合はそれぞれが何百年もの歴史があり、対してシーダー社は創業三十年足らずの、新興と言っていい会社だった。まずは城の現実的な泥臭い仕事の裏方に徹することで、王室の信頼を得た。社名こそ表立ってはいなかったが、王室運営には欠かせない存在となっていった。

 

 アミュテュスは改修にあたり、王室勤めのよしみで間借りすることになったバジリオの屋敷に、ギター一本と当面の服や下着、身分証などの貴重品を入れたバックの他は、何も持たずにやってきた。バジリオが、城主の外出に門を開く音が聞こえる、と自慢するほど城から近く、完全に閉め出されてしまうとは思わず、不足があれば取りに帰るつもりだった。

 屋敷は物惜しみせずアミュテュスを迎えてくれ、主人とも気が合い、居候生活を束の間のことと楽しもうとした。

 

 工事は思っていた以上に大規模らしい。今日にも覆いを外す動きがあるかと屋上テラスから進捗を見守っても、はるか遠くに見える城の尖塔から、防塵幕を引っ張り下ろす者はいなかった。暗灰色の幕が夕日をぎとぎと跳ね返して、城内の庭園の木々が黄金に染まるのさえ台無しだ。アミュテュスはため息交じりに、街の方に視線を移した。ギターの糸巻きをいじって調律をし、演奏を始めた。

 

 屋上からは、西の国境の川に沈みゆく、「旧い太陽」が見える。反対側の北東には、恒久的に浮かぶ「第六の太陽」があるのだが、城に遮られていた。

 旧い太陽は、地平をオレンジ色に染め、遠い大河に光の筋が流れた。煉瓦造りの街々は輝きで染め上げられ、影には青が濃くなった。

 第六の太陽が雲で覆われ、太陽と見紛うほどに眩しさを返す月もない日ならば、旧い太陽が沈んだ後には、空はすみれ色に暮れ、控えめに一等星が瞬くこともある。しかしかつて一日の半分を占めたとされる、闇の時間である「夜」はない。旧い太陽が眠りにつき、人も習慣的に床をとって安らぐ時間のことは、「臥〔ねる〕」と呼ぶ。

 アミュテュスはゆっくりと流れる時間を見守った。テラスの低い手すりに腰をかけて、指が紡ぐ音に耳を傾けていると、不安といらだちは凪いでいった。

 城下の青い影の中でランタンが灯る。人々の歩みも、トラムがレーンを踏む規則的な音も、日中に比べて優しいのは何故だろう──入り組んだ路地を、光が縁取る。これ以上に暗くなることは滅多にない。イツダテの臥は、青い色が生きたようにつやめき、灯火も冴え冴えとして、一日の仕事を終えた安らぎが、今まさに始まるという期待感を、いつまでもとどめる。

 たまに気まぐれに変調したり、弾き直したりすると、道ゆく人がおやと立ち止まってきょろきょろし、こっちを見上げる。ああ、これは再生機ではなく、人が今まさに演奏しているのか、と意外そうに、しかし得した顔を見せる。

 王や女王たちのために、完璧に、それでいて空気のように弾き続けることに慣れていたので、街の人の素朴な反応が面白い。

 アミュテュスの演奏に引き寄せられるように、女が屋敷の外階段を登ってきた。シーダー社の代表の妻、サリーだった。暗く沈んで見える。夕刻のせい──ではなさそうだった。シャワーを浴びたのか、石鹸の匂いが風に乗ってきた。洗い髪もそのままに、清潔な衣服に着替えていながら、体は重たげだった。

アミュテュスは演奏をやめることはないまでも、音を弱め、老女の方を見るとはなく見た。サリーは、近くに腰掛けた。

「死に、渡されたわ。シーダーよ」

 我知らず指が止まった。

 サリーは沈痛な宣言によって、夫がもう一度死んだかのように、すでに充分に泣き皺の寄った顔を、またくしゃくしゃにして泣き始めた。

 アミュテュスはギターを構え直す。

{いつ?}と聞こえるように、ギターの弦を、奏でるというより、指で弾いた。

「さっき。事故、だったの。私も、まだ、信じられない。信じられない」

 サリーは、シーダーを強く描くために、他の皺と見分けがつかなくなるほどにぎゅっと瞼を閉じた。首にかかった小さなインゴッドを触り、黄金のしっとり温かい感触を撫でた。

 アミュテュスはこの期に及んで、シーダーは今いくつだったかしら……と考えずにはいられなかった。でも気を取り直して、目の前の、悲しみに打ちのめされている老女へのいたわりに集中した。

{ほうぎょね}

「え?」

 サリーは目を開けた。涙がぱらぱらと落ちた。

{儚御〔ほうぎょ〕。王様が、その身を儚くされること}

 「崩御」という、今は使われない古い言葉が転じて、「儚御」と言われるようになった。一度でサリーに伝わらなかったようなので、{儚御、儚御}と何回かギターで繰り返した。

 アミュテュスは以前に声を失った。そこでさらに幼い頃から修練し、からだの一部となっている楽器の響きを操り、喋っているような音を出すことを身につけた。周囲の人々は、もはや「ギター喋り」を、当たり前に受け入れていた。

 

 ──サリーは「儚御」を理解していた。今、王にまつわる言葉ならば何にだって反応しただろう。アミュテュスを見つめた。計画のことは、知らないはずだ……。

{シーダーって、王様みたいだったじゃない?}

 楽師はイツダテ城にやってきたばかりの頃を思い出した。あてがわれた部屋は、一人で使うのに実家と同じくらいに部屋数が多く、調度品は比べ物にならないほど豪華だった。それなのにどう工夫してもお湯がぬるい。当時執事だったバジリオに相談すると、太陽熱を集める集光機の調子が悪いらしく、今に始まったことではないらしい。

 整備工たちがしょっちゅう出入りをしていた。その中にひとまわり大きな体つきのシーダーがいた。当時は作業員の一人だったが、気がつくと独立していて、直接仕事を請け負うようになっていた。打ち合わせの席には、シーダーではなく専務のサリーが対応していた。

 正直なところ、アミュテュスにとってシーダーは聡明な実業家というよりは、体を張ってどれだけ重い荷を運べるかにこだわるような、単純なところがあった。

 それが精神的な器の広さにつながることも確かにあったが、豪傑を絵にかいたような、それでいて虎視眈々と何かを待ちわびているような、危なげな雰囲気が否めなかった。

 死んだと言われたその瞬間には、今イツダテ城に張り巡らされているであろう、工事の足場のどこかから、落ちたのかしらと絵が浮かんだほどだ。

 

 悲しみで強張ったサリーの形相は痛ましく、こころを動かされた。感情と振る舞いにおいて、抑制のきいた城内で過ごしてきたからこそ。鼻がつんとした。声が出せたとしたら、言葉は震えただろう。そしたら、より一層悲しくなる。ギターを引き寄せて抱きしめるようにして、短い節を鳴らし、胸の鼓動を励ました。

 サリーは、アミュテュスの慰めと優雅さによって落ち着いてきた。

「先頭に立ってみんなを導く……会社を動かすということは、王様みたいなものよね」

 全てがうまくいったならば、シーダーは事実上、この国の王となるはずだった。サリーはさしずめ女王という事になるが、昨日までの妄想はどうしようもなく幼稚に思えた。しかし、世辞でも夫が「王」と称されると、気分は悪くない。思わず、「イツダテの王様達と並ぶべくもないわ」などと言ってしまいそうだった。

 サリーの気持ちを紛らわすために、アミュテュスは話題を少し変えてみようと考えた。

{メイ様は}

 メイというのは、アミュテュスが仕えているイツダテの女王だった。

「うん」

 サリーは手にかけたイツダテの王族達を思い描いていたので、話題が移った動揺を、悲しみが続いているふりでうなだれ、隠した。

 

{今年の聖都巡礼に、いつの間にかご出発なさったの。私も伴ってくれるって、お約束したのに。一声かけてくだされば}

「そう……」

{身内は多い方がいいと仰っていたのよ。フェリツ国からは、フェリックス暴君がお出ましになるから}

「暴君って」

 サリーは無理やり笑みをつくる。

 

{工事でごたついて、忘れてしまわれたのね}

 ──おっと。今のは、工事が迷惑であるかのように聞こえなかっただろうか。他国の王への軽口で勢いづいてしまった。とっさにはぐらかす。

{メイ様も、マイペースなのだから……}

 期待して損しちゃった──きたいして・そんし・ちゃった。言葉のリズムに、興味が移った。即興で演奏を試みつつ、シーダーの鎮魂を音色に編んだ。

つづく

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