千年王国ファンタジー|幻想聖典 エスキャトロギヤ 第1章 王封じ|第5話 老女
第五話 老女
塩の柱が続々と投入され、シーダーは埋もれてしまった。数値は安定し、制御室では見るべきものがなくなったので、ロー・ジは投入口に上がっていった。
さらに上階から、息をあげながら男が降りてくるところだった。両脇に捕らえた者の足を挟み持っている。後ろでは、老いた女が縛り上げた女王の襟ぐりを持って、汗を流しながら手伝っている。
「変わろうか」
ロー・ジは階段の途中にいる老女に、儀礼的に言った。汗ひとつかいていないロー・ジを見下ろし、女は今更汚れることもないとばかりに、首を振った。
「サリー、もう俺一人でいける」
男は、この仕事にサリーの手を借りたことに、今更ばつが悪そうに言った。サリーは一度手を下ろして、振り乱した白髪をまとめ上げ、仕事を続ける意志を表した。頭髪に血の筋がついた。
床の女王は朦朧としながら、裏切り者達を見上げた。
「引き返せ……」
サリー達は視線を落とし、彼女が逃げ出すそぶりがないかに注意した。血が染み込んだ髪が張り付いた赤い顔は、今にも眠りに落ちそうにうつろだった。
「とどまれ……光に……我らの【主】……」
「王たちの窮地を過ぎ越される神に」
ロー・ジは女の祈りに、独り言を注ぎ込んだ。
「失うぞ……永遠のいのちを」
命、と聞いて、ロー・ジはわずかに眉を動かした。
「命か。そうだ、聞いてみたいことがあった。永遠の命を受ける前のことを、覚えていたりする?」
女王は眉をひそめた。
「いのち……の前のいのち?」
「あなた方が、まだ俺らみたいな一般人だった頃の話だ。知りたいんだ。〝前世〟の話だ」
「前世……?」
女王は言われた事がわからないようだった。もはや意識が遠のいていた。肌の表面には霜が立つように白い繊細なレース模様が浮き始めた。塩化が始まっているのだ。
「王国以前のことなど……」
髪をまとめ終えたサリーは、声を打ち消すように、女王の首の後ろから伸びた服を持ちあげた。階段の上からまた声がかかる。
「サリー! トラッシュが来てほしいって……おい! お前サリーに何させてんだよ!」
やってきた者は強引にサリーから女王を引き受けた。サリーが階段を引き返してその場から去るとき、ガラス細工の壊れる音が響いた。男たちに投げ込まれた女王が、階下に叩きつけられた音だ。
* * *
謀反の現場となっているイツダテ城の敷地から、通りを隔てた南の区域に、かつて宮殿仕えをしていた貴族の屋敷がある。
屋敷は煉瓦造りで、イツダテ城を頂点とした山の頂上近くにあるため、街が見下ろせた。城門側からは三階建ての高さに見えて、実際は五階建てで、反対側はより低い位置にある街路に面している。この一帯は同じような暮らし向きの人々が集まる瀟洒な住宅街だ。総じて煉瓦造りで、庭はほとんどなく、代わりに屋上のテラスにパラソルや植木を置いていた。窓枠や間柱は白く塗ってあり、家々は間隔を広くとらずに接近して建てられている。レンガ色と白のコントラストで、壁はレース模様のように装飾的に見えるのだった。
屋敷のサンルームでは、健康的に日焼けをし、大柄のラップドレスに身を包んだ婦人が、主人バジリオと談話をしていた。
「このかすみ柳、おもしろい仕立てをされているのね。うちのはこんなに、真っ白くやわらかくならないわ……」
婦人は、樹形がわた飴のようにふわふわとして、葉がリボンのように細長く、紗のように薄く、繊細な観葉植物に、手のひらを優しくあてた。
「時々野外に出して、日をよくあててやるんですね。出来たら下にもホイルか何かを敷いたらいい。高ブリム帯の植物だから」
バジリオは満足げに笑った。引退はしたものの、今日王室に呼び出されてもすぐさま出かけられるのではというほど、きちんとした身なりをしていた。目は小さいが鋭く、唇も形よく引き締まっていて、目端はきくが口は堅い、と物語っていた。そこへ大きい鼻が、寛大な印象を与えていた。つまり魅力的な男だった。
「かすみ柳って、発育がいいと柳絮が長くなるんでしょ? あれで撚った糸で作ったシャツは、高級品ですからね」
「観賞用はあんまり長くならんように改良してありますよ。そもそもが植物おたくの〝狂王〟が品種を掛け合わせまくって作った珍樹なんだから」
城では王たちの聞き役に徹していた反動か、仲間内では辛辣な言葉が口をついて出る。
「うちもバルコニーを整理して、外に出してみようかしら」
そこへ、恭しい動作で進み出る者があった。バジリオはとっておきの美しい花を愛でるように、大げさな動作で招いた。
「アミュテュス、ちょうどよかった。こちらはローリエ夫人だよ」
アミュテュスと呼ばれた女性は、微笑みをたたえて礼をした。優雅にまとめた褐色の髪がつややかだ。婦人の位置からは影になっていても、肌には丁寧に金粉をまぶしたような淡い輝きがあることがうかがえた。
「アミュテュスさん? もしかして……ほら、サリーのサロンでお会いしたわ。元気にしてらした? しばらくお見かけしてなかったけど。バジリオのところで会うなんてね」
ローリエ婦人が笑うと、日焼けした肌に白い歯が眩しい。
「私がメイ様の執事をしていた時に、ちょうど彼女が音楽係として召し上げられたんだよ」
「そんなに昔から仲良しだったの! 世間は狭いんだか、広いんだか」
「イツダテ城が大改修に入るとなって、わざわざ島に帰るわけにもいかないから、部屋を貸してるんだ」
「本当に、召使いの方々は全員外に出されちゃったの?」
ローリエ婦人は大げさに目を丸くした。お城のうわさが聞けるので興味津々なのだ。
「全員、一人残らずだよ。私が引退する頃だって、いろいろガタがきてたからね。排水管工事から何から、テコ入れするらしい。満を持してだよ」
「バジリオがいれば、いろいろ采配できたのにね。わざわざ暇を出さなくたって……王様方は、さぞご不便されてるでしょう」
「その辺を、サリーあたりがそつなくこなしてるんだろ。世代交代だよ」
バジリオは目を伏せて、左手の中指に嵌めた、大ぶりな金の指輪に触れた。引退の時に主君から賜った記念品だった。イツダテ王宮のシンボルである明星が彫刻されていた。
「ってことは、今アミュテュスさんはお時間に自由がきくの……って、あら?」
アミュテュスはすでにその場からいなくなっていた。婦人は残念そうに戸口を見た。
「うちの演奏会にぜひ出てほしいわ。口添えしてくださらない?」
「どうかなぁ、環境が変わって戸惑ってるのか、元気がないようだから」
「お城から出たんだから、羽を伸ばせばいいのに」
「彼女は芸術家だからねぇ、それとなくは聞いてみるよ」
あきれ半分、かわいさ半分で苦笑した。アミュテュスが子供のころから知っているだけに、気難しい性格に手こずりつつ、娘か、孫のようにいじらしく感じているのだった。
婦人はサンルームから見えるイツダテ城下の景色とは反対側に目をやった。部屋からは見えないが、橙色のイツダテ城壁を示すように。今は城壁の外側にまで、雑然と資材が積み上げられているのだ。
「サリーのとこは、相変わらず景気がいいのね。でも……だいぶとっちらかって、さすがにいただけないわよねえ」
バジリオは左手を振った。ひけらかすつもりはないにしても、金の指輪がちらつく。
「シーダー社に美的センスは期待できないよ。まあでも仕事は確かだ……千年紀までもう百年とちょっとなんだから。それまでに倒壊でもしたら目も当てられないからね」
つづく






