聖書ファンタジー 666 – 反君主の年
フェリシティの広場では、祭のハイライトである料理コンテストが進行中だ。
「──さあ、最後のエントリーはその名も『マナ』! 祭のために開発された白いウェハース状の食べ物だ! くせのない淡泊な味わいで、古代のツァヴァヰェ民族に主食として親しまれていた伝説の食べ物! 千年王国の気候条件によって限りなく忠実に再現されているとのこと! 開発者は長年キノコ類を研究しているキク・ラゲ博士! ──ラゲ博士、『マナ』はキノコの一種と伺いましたが!?」
エノキダケのように白くひょろ長いキク・ラゲ博士が、なよなよとインタビューに答える。
「あくまで我々の研究結果による仮説ですが……祭の機会を利用して、現在分かっている成果の粋を結集させて『マナ』を再現してみました。ベースとしたキノコの種類としては……」
「──はい! 博士! ありがとうございましたー!!」
話が長くなりそうだと察した司会は早々に切り上げる。民衆が歓声を上げる。その中に、フェリックスとサバもいた。
「なんだ、もっと聞きたかったぞ」
フェリックスはぱちぱちと手を叩きながら、残念そうにつぶやく。
「マナが菌類だって言い張ってる研究グループ、まだ存在したのね」
サバが皮肉っぽく言う。フェリックスにスイッチが入る。
「何をおっしゃる、菌類ほど神秘と可能性に満ちた被造物はほかにない。千年王国の気候条件下においては、旧世代では奇跡とされたことが、あっけなく実現できる。『マナ』はキノコ……つまり子実態だと断定するのは早計だが、少なくとも酵母の一種であるという可能性は……」
その時、ひときわ大きな歓声が上がった。子供たちが「ヨブの苦悶」を一口食べて泣き笑いしている。隣では大人たちが、ビールを片手に「アケルダマのユダ」の腸詰めをつまみ、モリシタの町で起こった顛末を語り合っている。
「あの騒動をもはや笑い話にするなんて……図太い人たちなんだから」
サバはあきれて小さく笑った。
「私たちには、恐れを笑いに変える強さがあるのだよ。666年の騒ぎも、700年紀を迎えるころにはなつかしい伝説になるだろう」
民衆の呑気さは、初代王の気質を強く反映しているのだろうか。
「都合よく丸く収まったからよかったのよ」
女王はふんと鼻息をもらすが、怒っているわけではない。彼女にしても、過ぎたことにいつまでもこだわっていられないのだ。
* * *
フェリックスはサバと別れ、祭の喧騒の中をそぞろ歩いた。広場の隅で子供たちの輪を見つけた。
「硬い」「くさい」「甘い」とげらげらわらいながら、黒く細長いものをかじっている。『アケルダマ』かと思ったが、ソーセージよりも平べったい。
子供たちに近づく。
「それは……もしかしてイナゴ豆?」
栄光の王の透き通るような美しさに、子供たちはとたんに緊張した。
だが、王がにこやかに身をかがめ、視線を合わせると、ほっとして口を開いた。
「そう、イナゴ豆だよ! お腹をすかせた『放蕩息子』が、食べたくても食べられなかった豚の餌」
子供は藤の鞘ほどの長さのイナゴ豆を掲げる。家畜の餌を食べているうしろめたさに、言い知れぬ興奮を覚えて、目をきらきらさせている。
「君たち、『あの話』をちゃんと知っているんだね」
子供は得意げに頷く。
「お腹が減ってるなら、こっそり食べればいいのにって思ってた。でもやらなかった理由がわかったよ。硬いし、種がじゃまだし、くさいんだね」
フェリックスは、「博物館の熊の剥製のにおいだ」と言って嫌がった子供から、イナゴ豆をもらった。鞘の表面は細かいシボと光沢があり、どこか動物の革を思わせる。
鼻に近づけた。くさい。
噛んでみると、甘みがしみ出し、コーヒーかすのようにざらざらとした舌触りが残る。
栄光の王が固くてくさいものをかじるので、子供たちは見てはいけないものを見ている気持ちになった。王はいっこうに頓着しない。
「昔はね、こんなものでもおやつだったんだよ」
「おやつ?」
建国当初──もはや600年以上前になるが、まだ文明復興がおぼつかない時代には、チョコレートはおろか、焼き菓子もドーナツも珍しかった。真っ白に精製された砂糖さえなかった。
木の実や野の果物、花の蜜を甘味として食していた。当然、イナゴ豆だって食べた。干しただけでは筋ばっていて匂いが鼻につく。甘味はデーツのようにこくがある。
当時は風味や食感なんて二の次で、甘ければそれだけでおいしかった。
しばし思い出に浸っていたフェリックスは、顔を上げた。
「ほらほら、イナゴ豆ばっかり食べていたら、うんちがカチカチになってしまうぞ。 柔らかくて甘いものを食べにお行き」
「『ダビデの水饅頭』まだあるかな!?」
「私は『ネブカデネザルの炉』がいい!」
王が「うんち」と口にするだなんて……子供たちはきゃっきゃと喜びながら走り去っていった。
イナゴ豆のかすが舌にのこっている。不快ではなかった。王がまだ一人の開拓者で、人々に混ざって鋤をふるっていた時には、しょっちゅう口に泥が入っていたのだし。
もっと思い出すことがあるような。666年よりさらに昔、栄光の体を与えられる前の、儚い体で生きていたときのことを──。
郷愁に飲まれそうになり、踏みとどまった。 色とりどりの祭の装飾が、金色の陽光をうけて揺れ、その下で人々がのびのびと飲み、食い、笑い、さざめく様子に目を移した。
皆もう何百年も前から、この完璧に幸福な瞬間の中で過ごしているように見えるし、今後何百年も、そのまま留まり続けるようにさえ見える──実際は数分後、いや数秒後には音もなく崩れ去る調和だとしても。
流れ続ける時間の中で、フェリックスは、きまぐれに歩を休めた永遠と顔を合わせた気がした。
おわり
参照聖句
制作にあたっては、主に『新改訳聖書2017』を参考にしましたが、著作権の関係で、パブリックドメインの口語訳聖書1955年版を掲載いたします。
▶マナ
出エジプト記 16:14-15
その降りた露がかわくと、荒野の面には、薄いうろこのようなものがあり、ちょうど地に結ぶ薄い霜のようであった。 イスラエルの人々はそれを見て互に言った、「これはなんであろう」。彼らはそれがなんであるのか知らなかったからである。モーセは彼らに言った、「これは主があなたがたの食物として賜わるパンである。
出エジプト記 16:31
イスラエルの家はその物の名をマナと呼んだ。それはコエンドロの実のようで白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった。
▶放蕩息子といなご豆
ルカによる福音書 15:13-16
それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。 何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。 そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。 彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。







