
目次
なぜ今ブログか
noteからブログへの先祖返り
年単位でnote発信をしていたけど、最近になってブログを書きたくなってきた。
noteでいろいろなテーマの記事を発信しているうちに、集中するべきテーマが固まってきたような気がする。
テーマについてじっくり腰を据えて考え、発表していくには、ブログという場所のほうが最適に感じる。
文字数もそうだし、「スキ」などのインプレッションもさほど気にしなくていい。ただPVだけを追いかければいい。
じわじわ読まれる場所を作りたい
noteだけではなく、小説の執筆にも力を入れていたから、Wry Wondersのメンテナンスは思いっきり放置していた。
去年の8月、WPのプランをアップグレードして、バイリンガル対応にした矢先だったのに。
万単位でお金がかかったけど。後悔はしてないけど。回収もできてないし。
マニアックな神学ファンタジーしか書けない奴で終わりたくなくて、文芸コンテストの応募作品制作に夢中になっていた。
その最中は小説家の自意識でいたけれど、応募を終えて頭が冷えてくると、制作の過程で集め、散らばったままの部品を一つずつ確かめ、投げっぱなしの文章を置いておく場所が欲しくなった。
noteだとエモい起承転結にまとめる必要があり、それはそれで楽しい。
でも文章を発表するたびにとりあえずインプレッションを気にしてしまう。
インプレッションがないままだと、「面白くない記事」になり、「面白くない記事を書くアカウント」になってしまう。
でもブログは、どれだけの人が読んでるのか、人気があるのかはっきりとわからなくても、記事が溜まってることがそのまま信頼性になっている気がする。少なくとも私は継続しているブログを信頼する。
投げっぱなしでいい。ブログはそういう人のためにある(と思ってる)。
これから扱う三本柱
だいたい3つのことを中心に考えていく。
A:神学についての考察。終末論・千年王国など神学コア
B:ストーリーテリングで考えたこと。物語構造としての神学×SF
C:人工知能や人工意識。AIと神学という未来的接点
テーマとしては敷居が高く感じるかもしれないけれど、あくまで思考のログとして、完成度や煮込み具合は記事によって、センテンスによってまちまちになるだろう。
軽く触れたり、場合によっては深堀してみたりする予定でいる。
目指す地点
私はプロテスタント福音派のクリスチャンだ。
創作者としてのスタンスはずっと変わっていない。「聖書で語られることが真理なら、聖書の世界観をもとに物語設計を行っても破綻がないはずだ」という信念をもとに研究と制作を行っている。
「聖書」を物語に用いるとき、教会教父時代の手稿だとか、そのほかの宗教との比較や融合がなされることは多い。
私はあくまで「聖書」というワンテーマで行きたい。そこに独自性があると思ってる。
聖書神学が背骨になっている物語を作り続けたいし、物語論として体系化したい。
このログはその初めの過程になる。
そのうち講座化してTheology Fantasyに掲載したり、神学SF、神学ファンタジー、聖書ファンタジーとして物語にしたい。
それが私の活動の全てになる。
あまりにシンプルなことだけど、お付き合いいただければ幸いです。
扱ってほしい話題があったら、フォームかメールから連絡いただければ幸いです。
全ての質問にお答えできるかはわかりませんが。


