千年王国ファンタジー|幻想聖典 エスキャトロギヤ 第26章 ホテル・ダイイチ・テサロニケ
第7話 選択
サリーの部屋は、捜査のために雑誌や衣料や小物がより分られ、そこら中に小山ができていた。もとから相当に散らかっていたことは予想できた。変わったところでは、ガーキンやオリーブの空き瓶がやたらに多いことだった。棚や床の隅や廊下に、オブジェのようにしてびっしりと重ねて並べてあった。
「妹さんは、主食がピクルスだったのか?」
フェリックスは冗談めかしたが、ヤオは
「毎年、よく作りましたねぇ。思えば、サリーのために作っていたようなものかも。ストレスがたまると、酸っぱくてぱりぱりした食感が欲しくなるみたいで。腎臓が壊れるんじゃないかってくらい、食べてました……オリーブにも目覚めたのか」
アミュテュスは、放置された空き瓶からしつこく立ち上る酢の臭いから逃げるように、ホテルのスイートルームを分け入った。
──どうりで、たまにやたらと酸っぱい息がするのかと思ったわ。
部屋には、サリーの派手なドレスやアクセサリーが散乱していた。老婦は宮殿の関係者とのつきあいと、街の貴族たちの交際を分け、宮殿ではつとめて質素に振る舞っていたが、贅沢を楽しむ機会はそれとして持っていたのだ。
アミュテュスは何度かサリーの客人を楽しませるためにこの部屋で演奏した。アミュテュスは無口なだけに中立的に見え、広い意味では老女の義理の娘でもあったのだ。宮殿では見られない種類の人々がいて、はじめのうちは物珍しかった。機会が増えるごとに、サリーが宮殿に近い存在であることを示すための道具として使われている気がしてきたので、遠回しに断ったり、芸術家特有のきまぐれを装ってすっぽかしているうちに、声はかからなくなった。
楽師ははじめはサリーの持ち物に気をとられて、つば広の帽子を被ったり、顔の半分くらいを覆うサングラスをかけてみたりしたが、最終的には、持ち主が使うことのないピアノの前の椅子に座って楽譜を読み、流行りの曲の譜面に、作曲者の遊びごころを発見することに熱中した。
満足に動かせない手で、鍵盤を押さえたい誘惑に従った。部屋にゆっくりと音楽が流れはじめた。
* * *
「この部屋の物は、どうなるんですか」
ヤオは女性の贅沢品がよくわからず、おおかた満足していた。アミュテュスの気が済み、また、最後の見落としがないかを確認する主君を待つことにした。
「君が希望するなら、個人的な思い出のある品は、今のうちに持ち帰っていい」
ヤオはソファに座って、かつての生活からかけ離れた妹の所持品や、贅を尽くした部屋の装飾を見回した。自暴自棄になった妹の手で損ねられていたが、それでも、ごみさえも特別に意味を持って見えなくもないほど、美しい部屋であった。
「あとは、我々が証拠として押収する。もしかしたら、城からの盗品も混ざっているかもしれないしね」
「サリーが生きた証に、僕はどれだけ責任があるんでしょう」
ヤオはふと、サリーの兄として、父親としての「責任」を思い出した。かつてはそれなりの犠牲を払うことを要求された責任だ。ここへきても忘れてはいけないものならば、なにか象徴的なものを持っていこうと思ったのだ。
* * *
フェリックスはクローゼットの細い扉にもたれてヤオを見た。そういった質問が来るとは。千年生きた後でも、捨てて後悔していることがあったかしらと考えた。とくに、絆はあれど本質的には自分のものでないいのちについて、自分のこころに、いのちに、どれだけの居場所や、確かさを明け渡すべきなのだろう。
「そういうことなら、むしろ、何をか持っていき、亡き人をを記念する必要はない。君が今後ピクルスを作るときに、いつも喜んで、ぱりぱりいわせながら食べてくれた妹がいたことを、思い出せばいい。思い出さなかったとしても、君に非はない。忘れることは何も悪くない。必要なことなら思い出すだろう。我らの御父の書物には、君や妹の、洗いざらいが書かれているんだ」
ヤオは律儀に、それがまるで命令であるかのように頭を垂れた。しばらく下を向いていたので、王はもう持ち合わせてるハンカチはないぞ、と意味もなくポケットの厚みを確かめた。でも青年はすぐに顔を上げて、いつものように、無防備なまでに輝く瞳で王を見つめ返してきた。
* * *
「殿下は、この後、ヰェナダーに向かわれるとか」
「うん。明日が勝負だ。明日、イツダテ王がヰェナダーに復元し、礼拝が完了した知らせを受けたら、調査内容を持って、船で、ヰェナダーに向け出航する。三週間ほどかな。海路では」
「船ですか」
「ケルブ船だ。乗ったことは」
「川下りの小舟なら」
「君も来るか」
流れていた音楽のリズムが、わずかに狂った。
「ヰェナダーに?」
「そう」
「それは……」
アミュテュスの胸には、思っていたほどの寂しさは来なかった。むしろ、誇らしかった。ヰェナダーに上がるという特別な意味は、どんな些細なきっかけであれ、祝福以外の何ものでもない。数ヶ月前、自身もメイ女王から一緒に来てほしいと言われた時の、文字通り天に昇る気持ちがよみがえった。もうすでに、ヤオが遠く、さらには高いところにいる気になって、こころを、ピアノの音に沈めた。
「今、決めないといけないことですか? 今しか機会はないでしょうか」
ヤオは言った。
「そんなわけなかろう」
フェリックスは、主君の恩寵に青年の顔が割れるほど輝き出すのを期待しただけに、ある種の愚昧な態度に、必要以上にがっかりしそうになった。
──やれやれ、ウィスターといい、アミュテュスといい、極めつけはヤオというように、どうして私と話す者たちは、だんだんと押しが強くなっていくんだろう? 「金の斧がいいですか? 銀の斧にしますか?」「いいえ、必要になったときに、またお呼びだてするんで、今日はいいです」ってか──。
アミュテュスはもはやピアノに集中できなくなって、二人のいる部屋に向かった。ヤオが、ヰェナダーに行けるということが、しかもフェリックス王が連れて行ってくれるということの栄誉が全くわかっていない間抜け面を晒しているものと思った。
アミュテュスが勢い余って戸口のピクルスの瓶を蹴り飛ばしたのを、王はひょいと避けた。瓶はクローゼットの衣装の中に吸い込まれていった。
「ウィスターはアミュテュスの島に行くとはしゃいでいたが、君も行くってことか」
「そうなんです。行くんです」
ヤオは今朝の食事の時にうっすらと聞いていたことを、確信が今ついたとばかりに返事をした。
──バカなの? そういうことじゃ、ないでしょ、あなたの人生は。
アミュテュスは怒りを露わにしてヤオを見た。フェリックスが見かねて、もう一押ししてくれるように。聖都を守るべく兵士に志願しておいて、早くも上京するチャンスが巡ってきたというのに、入隊早々に休暇を取るなんて。
「ヤオがついて行ってくれるなら、安心だ」
しかし、フェリックスはヤオの恋路を応援することにした。アミュテュスがヤオを見る視線が、紛れもなく新しくされていることを突き止めたのだから。
「どのみち、パトモス島域含め、一帯の警備を強化することになっていた。ロー・ジたちが、カルメル島に潜伏しているという情報があるからね」
カルメル島内は国としていくつかの領土に分けて治められているほか、首長たちの治めるごく小さな共同体も点在しており、人の手が及んでないところ、忘れられた地域もある。しばらく大きな動きはなさそうだが、一度はイツダテ城を制圧したロー・ジたちに油断はできない。一連の危機の舞台は、弓大陸本土から、カルメル島に移ったということに過ぎないのだ。
島の南西部は、「夜」のある地域に入る。つまりはヰェナダー光が届かず、旧い太陽が沈めば、闇が一日の半分を支配する。月のない日ならば、暗闇は、全てを覆い隠すほどに暗いだろう。フェリックスにとっても、それがどう言った様相になるのか、栄光の姿に変えられる前の世界や、いのちの記憶はおぼつかないものとなっていた。
アミュテュスは、故郷にすら暗い影が落ちていることに、なおこころが重たくなった。 フェリックスは語調をやわらげた。
「まだこの一件は終わりではないということだが、むしろ、また私たちがお互いに会う日も近いということだ。全てが落ち着いたら、アミュテュスだってヰェナダーに来たらいい。今は、あなたには、ご家族のもとで静養してほしいから」
アミュテュスは、他国の王からかけられた言葉に、子供のように納得したり慰められたりした。今は、仕えるべき場所も王もなくして、寂しいのだ。
第26章 ホテル・ダイイチ・テサロニケ 終わり。第27章 ユーアンゲリオンにつづく






