
千年王国ファンタジー|幻想聖典 エスキャトロギヤ 第25章 イツダテ城
第1話 国境
ハタジャ国とイツダテ国の間に流れる大河は、そのまま両国の国境として機能している。現在はイツダテとの国交が封鎖され、両国を行き来する人や物資は極限まで減らされている。イツダテから出国を願う人が多い反面、ハタジャからイツダテへの入国を願う人は、激減していた。
アミュテュスとヤオが向かった関所は、イツダテ城から最も近い街ということもあって、普段であれば商人や人々の交通の賑やかな要衝であったが、静まり返っていた。
渡し船が出る河川の港に置かれた出入国管理局にて、管理官の女性はアミュテュスの煌びやかな身分証を前に思案していた。金属の扇を開くと、文言や名前が優雅な書体で彫り込まれている。読もうとすると目がちかちかする。
──今話題のイツダテ王宮に仕える者であり、身元保証人が王族のメイ女王その人であるという、王族やヰェナダー人に次いで、権限の強い身分証だ。女性自身は言葉が喋れないのか、それを補って余りある眼力で、封鎖された国境を渡らせろと迫ってくる……正確には、彼女に代わって手続きをしているのは付人らしき男だ。頭は悪くないんだろうが、世間を知らなそうだ。
彼の身分証は、フェリツ国のレヘム村……どこかで聞いたことがあるが、そんな村はごまんとあるだろう。フェリツ王室発行の大陸公用旅券──仮。を所持している……──仮。って何だ? ペラペラの紙に、走り書きで「この者の通路に故障なく旅行させ、必要な保護扶助を与えよ」との指示。サインはフェリツ国令主のルツ女王と、他三名の王によってされてあるということは、相当に効力のある旅券と思って間違いはない。しかし、両国から当局に事前の連絡がないから、これは個人旅行と思っていい。だとしたら、私用にしては不相応に「強い」旅券を所持していることに、むしろ違和感がある……。
管理官が長々と証明書を見たり、同僚や上司に相談をするので、アミュテュスは後ろのベンチに座り、ヤオが窓口にいた。時刻は管理局の閉じる午後九時の十五分前となっていた。ただでさえ人の少ない入国管理窓口には、もはやヤオ達しかいなかった。床は長い年月大量の人の往来があったためにすり減って、臥の弱い光ダクトの明かりをてらてらと跳ね返していた。
「普段はこんなこと聞かないんだけどね。ほら、今イツダテって大変じゃない。人も物も、出入りがしづらくなっちゃって。あなた方も、ここで入っていくのはいいとして、また戻りたいってなった時に、向こうの人が通してあげられるか、わからないのよね。それでも、行かなきゃダメなの?」
「だめなんです」
ヤオは、入国審査が始まった時よりも、女性の態度がくだけてきたことに希望を持っていた。もうちょっと話し合えばなんとかなりそうだ。ヤオはさも純朴だし、アミュテュスは絵に描いたような貴婦人なので、無下にできないのだった。
「来年になっても……もしかしたら来年こそ、ますますイツダテは厳しくなるかもよ? お兄ちゃんのほうは、フェリツ王様がたのサインがあるから、帰りもいけると思うんだけど。女性の方は、そもそもがイツダテ人だから、入ったら最後、しばらく出られないのは確実よ。それでもいいの?」
「はい」
自分だって骨を埋める覚悟だとかなんとか、言いそうになったが、恋する人のためとはいえ、イツダテと心中するまでは思い切れていなかったので、短く答えた。
「渡航の、目的は……人に会いに行くんだったっけ?」
「彼女の恩師です。イツダテで独居してて、心細いだろうというので」
「恩師」
「イツダテ城」を話に出せば、面倒なことになりそうだったので、適当にでっちあげたが、肉親以外の人間関係では威力が弱かっただろうか。ギターを持っていないアミュテュスとは思うように打ち合わせができず、今一歩思い切れなくて、両親を出すのは、気が引けてしまった。ヤオは覚悟を決め、知人の中で一番に口八丁のウィスターになったつもりで、嘘八百を並べた。
「来年、彼女に子供が生まれるんです。育ての親である恩師に、赤ん坊の顔をどうしても見せたいって……先生も元気づくかもしれないですし」
「ご出産?」
管理官は、ベンチに座るアミュテュスが、たまたま腹のあたりに手を置いているのを見て、彼女とヤオとを見た。ヤオは、身重にはなおさらイツダテは危険だとか言われないかと、またはらはらした。
「もしかして、婚約者、とかなの?」
「え」
管理官は真剣な顔になって、カウンターに身を乗り出した。
「ここだけの話、イツダテは相当やばいっていうわよ? おつれあいと、乳飲子を抱えて、お父さん、頑張れるの?」
ヤオは狼狽を気取られまいと相手から視線を外した。アミュテュスの身分証には、「既婚者」とは書いていなかったのだろうか。僕の身分証には、言い逃れできないくらいはっきりと「独身」って書いてあったっけな。ほんのりと寂しさを覚えたままに、神妙にうつむいた。
「悪い時もあるでしょう。でも、必ず、いい時も来ます」
管理官は友人知人が少なからずイツダテ動乱に巻き込まれていたので、思わず目頭を熱くした。もしかしたら、田舎くさい青年と、高貴な女性とは、身分を超えた大恋愛の真っ最中で、駆け落ちの果てに愛の結晶が宿り、二人の関係に強く反対した「恩師」との和解に故郷へと……青年はきっと、死ぬほど頑張ってフェリツ国王たちの信頼を勝ち取り、この強い許可証を手に入れるまで出世したに違いない。でも、根が純朴だから、やっぱりこのままではいけないって、彼女と話し合って、イツダテ入りを決心したんだわ……女性は会話ができないみたいだけど、愛し合う二人の間には、特別な意思疎通方法があるのよ……何に納得したのか何度も頷いて、二人に出国許可証を発行した。
出入国管理局員の使う業務用の渡し船に乗船を許された。それが最終の便だった。イツダテ側の入国管理局に到着して、ロビーで臥を明かす時には、アミュテュスには何枚もブランケットが貸し与えられ、翌朝はイツダテ城下町に向かう輸送車に乗せてもらえるように取りはかってくれた。このようにして、十三日の昼には、イツダテ城下町の門を通ることができた。
つづく






