千年王国ファンタジー|幻想聖典 エスキャトロギヤ 第13章 ダイモニゾマイ
第5話 機転
ウィスターとヤオは城門を出た。送迎や護衛は断った。旧い太陽は東の空に昇り、空は晴れ渡り、霧も薄まり、城壁の外は視界が開けた。朝早くから見回りが強化されていたし、敵の気配は露ほども感じられなかった。
「大王様と、令主と、ツユリ様、『フェリツの二十四人』のうち、三人に一日で出くわすなんてね」
ウィスターがあくびまじりに言った。
「大公は儚された、のか」
ヤオは言い慣れない言葉を、ぼう、ぼう、と繰り返した。顔を拭くようにと渡され、そのまま持ってきてしまったタオルを、言葉の調子に合わせて、ぶらん、ぶらんと振り回した。タオルはぶ厚く上等で、フェリツ国の国旗にあしらわれているかすみ柳の図案が、エンボスで模様になっていた。
「転送術、初めて見たけど、見たと言えるだけのものではなかったわ。失敗すると、あんな大変なことになるなんて。みんな、殿下の振る舞いには慣れっこだったみたいだけど。いやしかし、噂通りの暴れん坊だった。『フェリ本』第6巻が出る日も近いんじゃないの」
ウィスターは、興奮がおさまらないまま喋り続けた。
二人は朝露に湿り、爽やかな風が渡る蓋光林を歩いた。
ヤオは、目にしたことのあれこれが、朝の乳白色の光線の中で夢のように感じられつつ、掴んだ怪人の腕の強さをありありと思い出せた。臭気や、うつろな、血走った目さえも、まだすぐそばにあるようだった。見たこともない珍獣に跨った謎の騎士、姿を消した女。これきり、日常に戻っていくのが信じられなかった。不安でこころが浮き立つたびに、ツユリ王が肩に置いた手が、そっと地面に留めてくれるのだった。その繰り返しで、弄ばれる風船のようだった。
「ウィスター、昨日から、色々とありがとう」
ヤオは、もうひと押し、平安に留まる重しとして、医師に感謝を表した。
「え? どっち行くの?」
ウィスターは立ち止まった。
ヤオはすでに、街道の分かれ道で、フェリシティとは別の、森へと向かう方に、足をかけていた。
「どこって。帰って寝る」
「レヘムに? ここから、どれくらいかかると思ってんの」
「しばらく歩いて、落ち着きたい。疲れたら、バスか、馬車に乗せてもらうよ。昼までには一台くらい掴まるだろ」
落ち着きたい、というのは本心だった。さらには、昨日出会って、何度かは触れられそうなほどそばにもいた、しかし結局は消えてしまった、あの謎の美人のことを反芻し、必要であればくよくよしたかった。
「うちで休んで行きなよ。お茶を出すわ。食事も」
「はい?」
ヤオは、ウィスターが、少なくとも見た目だけは、妙齢の女性の姿なことを、こころに留めていないわけではなかった。別の女性にだが、ほんの短い時間恋をしたので、なおさら異性には敏感になっていた。同時に、取り繕うほどの元気もなかった。
「仮にも、ご婦人の住まいになど」
「仮って何よ。大丈夫よ。うちは広いから。何かの縁じゃない」
ヤオは頭が回らないなかでやんわりと探りを入れたが、ウィスターには、やはり、連れ合いはいなそうだった。
「まだよく知らない女性と、密室で、二人きりになりたくない」
ウィスターも、徹臥〔てつが〕明けで切れがなくなっていた。
「じゃあね、提案じゃなくて、お願いするわ。お家にきてほしいなぁー」
首を傾げて上目遣いで、彼女なりにここぞとばかりに媚びてきた。医師が厚かましいのは承知の上だが、今更、心細くなったのだろうか。
「護衛だって、あなたが断ったんじゃないか。それに、白昼堂々、悪さができる奴なんか」
──しかし、もっと別のことも頭に上りはじめていた。あの戦闘の時──青年は見ていた。フェリックス王の座るところに賊が倒れ込み、もうもうと舞う白い粉、ヤオの見立てでは胞子の、煙幕に、混乱に乗じて、女が逃げ出した姿を。だから、あえて彼女のほうを見るまいとして、軌跡を隠すように、警備たちや賊との間に、立ちはだかることすらしたのである。
なんで、一目惚れのためとはいえ、妹の秘密を盗もうとした、場合によっては妹の仇かもしれない人を、助けたのだろう? それは、彼女が、焚き火を囲むヤオとウィスターの前に現れた時、おそらく、助けを求めてやってきたからだろう。寝巻姿で、なりふりかまわず、わずかなつながりに慈悲を求めなければいけないほど、自分で自分の身を守れるような状況ではなかったのだろう。
この出来事にはきっと、悪意とか陰謀以外にも、見えない真実があるのだ。
きっと、ウィスターにもわかっていたはずだ。
だから、女が逃亡を決意するわずかに先に、勇気づけるものを、渡したのだ。
小さな光るもの。でも見慣れたもの……自宅の、鍵を。
第13章 ダイモニゾマイ 終わり。第14章につづく






