
千年王国ファンタジー|幻想聖典 エスキャトロギヤ 第11章 フェリツ城
第1話 帰還
「ちょっと……何、あなた、誰よ」
ウィスターは、突如現れた男が、医学生でも知り合いでもないのを、混乱の中で見てとった。かろうじて、身なりがごくいいことが伺え、あんた、と言わずに、あなた、と絞り出したのだった。それを踏まえても、男の状態は異様だった。
黒い髪は雨と風に揉まれて乱れ、目は血走っていて、頬骨近くまでどす黒いくまができていた。青ざめて、頬はこけ、全身が水と泥で黒ずんでいた。立っているが、どことなくゆらゆらして、片手を一人掛けのソファの背に置き、からだを支えていた。全身にかき集めた土と風の匂いを、濃縮し、発散していた。部屋の中は突如として嵐が吹き込んだようになり、空気が大きく渦巻いた。
「なんで、だまって、入ってきたのよ」
ウィスターはもはや魂の奥深くで休眠状態だった「危機意識」を叩き起こして身構え、やっとの思いで言い放った。
ヤオは、昨日と今日で死や解剖など、一生分怖いものを見て、落ちるところまで落ちたと思っていたが、とどめを刺すかのように強烈な男が出現して打ちのめされた。少年なのか、青年なのか、壮年なのかも判然としない。どの年代だとしても、一体何がどうなったらここまで凄まじくなれるのか、果てしなく憐れみと恐怖心を煽る風体だった。ドアベルや、ノックが聞こえただろうか? 少しでも冷静さを保ちたくて、もはや何の役にもたたないことを考えた。
「わかったことを、説明してくれ」
男はろくな挨拶もなく、ソファから手を離し、両袖机の横を巡り、主人用の大きな椅子を目指して、脚を引きずって向かっていった。
男の覇気、そう、覇気としか言いようのない威圧感は、本人さえ重たげであった。死してなお、歩き続けることだけを覚えこんでいる奴隷のような不気味さがあった。
椅子にたどり着くと、深く身を落とした。座る時、湯に浸かるように縮こまり、震えながら大きく息を吐き出した。吐き切ると、頭を椅子の背にもたせかけ、白目を剥き、動かなくなった。
* * *
──七日ぶりに、まともに座った……。
フェリックスは全身が軋み、血が逆流しているのかと思うほど、痛みのある疲れが駆け巡り、気が遠くなった。
時間は戻って、九月十一日。ヰェナダーにて──
「帰る? フェリツに?」
カニカの微笑みが凍り付いた。
「今から? ……ばかか?」
マナセは手加減を知らない。
フェリツ国からの聖都ヰェナダー巡礼団長、フェリックス三冠が、ヰェナダー到着後間もなくにして、嵐のように帰国の準備を始めたので、次期王のカニカと、巡礼副団長のマナセは交互に質問を浴びせた。フェリックスは返答が面倒になった。
「一人乗りのポンパドーターを手配してくれ。走ればなんでもいい。壊れたら、あとは何とかする」
「カニカへの研修はどうするんだ?」
「九百年近く同じ釜の飯を食って、今更研修もへったくれもあるか……カニカ、私に付いて来られる奴を、何人か見繕っておくれ」
女王はうろたえながらも動き出した。
フェリックスは落ち着く気配がない。
「それまで、イツダテと、隣国への信書を作らないと……マナセ、ヰェナダーの電信局は、どこだかわかるか?」
マナセはとにかく状況を把握しようとする。
「イツダテに、何があったというんだ?」
「わからない。まだ」
今駆り立てられてるものを、理路整然と説明できそうにない。
「何でそんなに、急ぐ必要がある? 僕にできることは?」
「祈ってくれ。細かいことがわかったら、改めて知らせるから」
二人の従者を伴って、ヰェナダーから二輪ポンパドータ―を走らせ、下山した。
最大7つの太陽が照らすクラウン域仕様のポンパドーターも、基本的な構造は変わらない。やはり翼を模した集光機とコンプレッサーが車体後方に向かって伸びている。コンプレッサーの出力が安定していて、すこぶる調子がよかった。車体は威圧的なまでに大きいが、無駄なものが削ぎ落とされ、動作音もなめらかで心地いい。遺物の採掘がどうの、と言う割に、機械をいざ作るとなったら、ヰェナダーは、いやツァヴァヰェ国は本気を出すのだ。
フェリックスは従者をつけてきたことを早々後悔した。法定速度と、一日の規定走行距離を、彼らのために守らねばならなかったからである。
旅程の途中途中で、フェリツと光伝信をし、イツダテから返信はあるかと聞くが、何日たっても全く返答がないとのことだった。帰国途上の七日目で、イツダテ隣国のハタジャが、使者を出してイツダテに様子を見に行こうと申し出てくれた。
しかし、派遣がその後どうなったのか、連絡が途絶えてしまった。フェリックスは痺れを切らし、後ろの者たちに、あとはもう各自城まで無事に帰れと言い残し、速度を最大に上げてフェリツまで急いだ。






