千年王国ファンタジー|幻想聖典 エスキャトロギヤ 第9章 けがれている!けがれている!
「君を、サリーの母親にしようと思ってたわけではないよ」
ヤオは言った。
マロニエは歩きながら振り返った。泣き止んでいたが、顔の赤みは残っていた。
「姉には、なったはずだけどね」
語調には棘があったが、ヤオは、マロニエが気持ちをしっかりさせてくれたことにほっとした。彼女とサリーは、当時、いつも一緒にいた割に、そんなに仲良くなかったのかしら。サリーは思春期まっさかりで、ヤオも大してものがわかっているとは言えなかった。目の前に降りかかってくることに、その場で考えてやりすごすしかなかった。
「女性には、女性にしかわからないことがあるだろ」
いまさら深く考えるのを諦めた。
「サリーがさ、帰らなかったことあったじゃない。臥遅くまで」
「あったね」
まだ追いすがってくるか、もうちょっと長くなりそうだ。あきれつつも、春の臥を思い出した。年頃の妹が隣町に遊びに行ったまま帰らないので、落ち着かない気持ちで、この道を小走りで探しに行った。白い柳絮が山ほど飛んで、視界の向こうが銀色に煙るほど白い、生暖かい臥だった。
「手ぇつないで、帰って来たじゃない」
「だったね」
「ああいうの、わりと嫌だったよ」
あれは、隣町の深臥まで営業している不埒な酒場で、妹が地元の奴らと遊んでいたので、酒場中に怒りをぶつけ、妹を引っ張り出し、怒りが冷めて気まずくなったところで、仲直りのつもりか、サリーが手をつないできたんだっけ。帰りをマロニエは道に出て待っていて、向こうに小さく彼女を見つけたとき、なにかのはずみのせいにして、サリーの手をほどいたんだった。見えていたのか。千里眼め。
それはいいとして、いいかげん、サリーを自立させねばと思ったんだった。その日を境に、柳細工はそこそこにして、大人たちに付いて森に入るようになったし、サリーとマロニエさえ仲がいいなら、妹はもう手を離れたと考えることにしたのだった。
「何が嫌だった?」
ヤオは、マロニエが掘り返した過去の映像が、喜ばしいものでなかったとしても、少し胸が温まった。またこれを懐深く落とした。彼なりにマロニエのことを考えていて、行動にだって移したが、言葉が足りていなかったと気が付いた。そういうことか……彼女が不安だったのは。よし、覚悟はできたぞ。さあこい、とばかりに尋ねた。
しかしマロニエも、弱さと向き合うことは、かつてより難しくなくなっていた。兄と妹、育ての親とその娘の間にある、他人にはどうしようもない絆に嫉妬していた、その自分を好きになれなかった。昔はもっと深刻に考え、複雑にのたうっていたとぐろは解け、若い頃の迷いが可愛いとさえ思える。
サリーとは姉妹のようにして育ち、幼馴染でありつつ、いまひとつ調和できない友情が、サリーの心を頑なにし、村を出ていく要因の一つになったのではと、悔いていた。
でも、友人が精神的に自立しないのは、ヤオの脇が甘いせいもあったはずだ。
サリーはヤオの関心を引きつつ、マロニエに対してはヤオをこき下ろしてきた。離れようとすれば妹の顔で甘えてきた。サリーに対して、ヤオから期待されるほどには、世話を見切れなかった。
つきあって十年でやっと恋人同士で街に出かけられたけれど、その頃にはなんだか疲れ切っていて、街の喧騒にのぼせ上っているヤオを、恥ずかしいと思ってしまった。現金の使い方にもたついて、買い物一つまともにできないのだ。
簡素な柳籠に取り替えてまで、街でも籠を被り続けているのがひどく野暮ったかった。街で見ると、柳籠は衝撃的なまでに異質でみすぼらしかった。フェリツでは柳籠を被っていることは「王の森の人」を意味するので、ある種の尊敬をもって見られる。それがさらに二人を街中で浮いた存在にして、注目がひりひりした。
ヤオがやっとマロニエだけを見てくれている気がしないでもなかった。その気分は悪くなかった。もしかしたら、そろそろプロポーズされるかもしれないと期待が膨らんだけれど、帰ってきたとたん、「あの事件」が起きて……ヤオはマロニエに拠り所を求めるのではなく、森に引きこもってしまったのだ。不安と我慢の限界だった。
でも自分も親になったから、彼に備えられた力を今なら思いやれる。何十年も音沙汰がなく、突然に現れ、あっという間に死んでいった妹であり娘を、当然のように運んでいる彼の中には、筋力以上に、強く突き動かす力が湧き出ているのだ。
あまりに自発的で、無条件というよりは、無邪気に近いものが。つまるところ、人の言葉では愛と呼ぶ以外にないようなものが。力とは言うけれど、恋愛の強さに比べたら無力に近いような存在が。無力なのに、それがなければ、いのちも形作られようのないものが。
「もし、僕が、君の気持ちを、あの時わかってたら」
ヤオが切り出したのは、マロニエに対して後悔し続けたことがあるからではなかった。あの時、仮にもしこうだったら、というのを、今まさに考えてはじめてみるための投げかけだった。マロニエを、友として、話し相手として信頼していたので、頭に浮かんだことを、深い考えもなしに言葉にしたのだった。
「それでも君が、今持っているようなものを、得られるように、願ったと思う」
彼は、木々の向こうに近づきつつある、子供達の待つ、マロニエの家庭を眺めながら言った。
第4話 寛容 おわり






