千年王国ファンタジー|幻想聖典 エスキャトロギヤ 第8章 老い
「なんか、思いっきり走ってくる人がいるな」
外の景色を見ていたヤソンが、ぽつりと言う。
ユニアものぞき込む。
「踊ってるんじゃない?」
「飛び跳ねてるな」
フィロロゴは、今日はいろいろ珍しいことがあるなと思いつつ、演習林は世捨て人同然の変わり者たちが住んでいるので、だいぶ郊外まで来たものだとぼんやり考えた。
走り来る者は、虫の頭に似た奇妙な柳籠をかぶっているため、表情がわからない。なだらかに傾斜する農地を、脇目も振らずに身振り手振りをしながら大股で駆け下りてくる。後ろには、カエルの柳帽をかぶった大小の子供も、大人の女性もばらばらと続いている。
ヤソンがはっとして深刻な声を出す。
「もしかして、シデ、バスが故障して煙を吐いてるんじゃ?」
ユニアも同調する。
「それを知らせようとしている、とか?」
エンジン音に異常はなかったが、ポンパドーターの暴走を見た後なだけに、車内は不安の空気になった。快晴で、日差しが強い。オーバーヒートしても不思議ではない。シデは慎重になってバスを停めた。サリーはバスが停まった揺れで目を覚ました。
「ひとまず念のため、皆さん降りてください」
運転手が言った。皆ぞろぞろ降りる。シデは軍手をはめ、エンジン庫を覗いたり、集光機やコンプレッサーを点検しはじめた。
* * *
バスから降りて来た人たちは、みんなこちらに注目している。
「サリー! サリー!」
ヤオは走りながら叫んだが、柳籠をかぶっているために音は篭った。
子供達は、農地を突っ切ったり、眩しすぎる日の中をめちゃくちゃに走ったことがなく、しかも斜面でどんどん勢いがついていくので、きゃあきゃあとはしゃぎながらヤオを追いかける。
フィロロゴは奔放な村人たちの様子に恐れおののく。
「何か叫び始めたぞ」
「あれ、ヤオさんかも」
視察団長のニンパは、ヤオと面識があったので、ナナフシのような長い手足、走りながら飛び跳ね、大きく手を振っているためになおさら長く見えるからだに、見覚えがあった。そして何の気なしに、さきほど同乗となった女性を見た。彼女も走り寄る男性を凝視しているが、同時に両手で頬を覆っていて、手はそのまま、顔の肉を後ろに引っ張り、皺を打ち消すように動いた。
バスから降りた人々は、ヤオと、後に続く子供も大人も一直線にこちらを目指してくるので、身動きできずに状況に釘付けになった。
「サリー! おかえりー!」
籠を被った男はどんどん近づき、声は明瞭になってきた。
「ヤオ」
サリーは、兄の叫びに答えるには小さく、ひとりごとにしては大きな声で言った。
「ヤオ? やっぱりあれがヤオさん?」
ニンパは、挨拶を交わしたかぎりはおとなしそうだと思った顔見知りと、恥も外聞もなく飛び跳ねながら迫り来る男とが、なかなか一致しない。
「あなたの知り合い? ……ご家族?」
ユニアもサリーと男とを交互に見比べる。
ヤオは彼ら一人一人の顔が判別できるほど近づくと、かぶっていたカゴを取り去った。
実に、彼は若かった。
うっすら日に焼けているが、日光を照り返す屈託ない笑顔が炸裂した。顔の輝きは、この土地の光の強さのせいばかりではないことを、待ちわびた再会に、躍り出さずにいられなかったことを、人々はすぐさま理解した。
青年が稲妻のごとき歓喜を閃かせた刹那、すぐに木陰へと、夕立を避ける人のように飛び込んできたので、一層、「極限の喜びにある青年の姿」が皆の眼に焼き付けられた。
老女に駆け寄り、抱擁し、顔と顔を合わせた時には、「祖母と孫」とか、「恩師と弟子」とかいうような命名がぴったりだった。
「サリーが来たのが、あそこからでもわかったよ」
ヤオはずっと向こうの山の斜面を指差した。
サリーの肩に触れたヤオの手は、光から受けた熱を蓄え、服を通しても熱かった。
「僕のために、バスは停まってくれたの?」
ヤオたちに注目していた一同は、無意味な動作だと知りつつも運転手を見た。
「どこも壊れてない。すぐに出発できます」
運転手はおずおずと言った。
ヤオを見知っているニンパが進み出た。
「ヤオさん、ご無沙汰しています。戴冠記念庭園の視察で参りました。その方、サリーさんとは、さっきそこで、偶然会ったんです」
ニンパは、サリーのポンパドータ―が暴走したことは、話が混雑するので端折った。あとで旅の土産話として、大いに盛り上がればいい。ヤオは、サリーと視察団が同乗している経緯を図りかねたが、初対面の人もいたので、改めて自己紹介をすることにした。
「サリーの兄の、ヤオです」
フィロロゴも、挨拶を返そうとした。
「初めまして。我々はフェリツの……え? あなたが、サリーさんの、兄ですか?」
「そうですよ」
局員は、ニンパや仲間をちらりと見た。誰か、演習林の独特のしきたりでは、『兄』という言葉に、もっと違う意味があると知っている者はいないか……。
そこへ、四人の子供たちと、マロニエが追いついて来た。
マロニエは途中で担ぎ上げたモモを地面に下ろすと、息をきらしながらも、子供達を日陰に入れて、火傷になっているところがないか、一通り確かめ、目を上げた。サリーを見た。顔は少しこわばった。彼女は、影の強さがよそよそしさを隠すであろうことを知っていた。
サリーも同じような理由で、老いた姿が和らげられるだろうと期待した。同時に、最後に見た女友達の姿から多少逞しくなっているものの、変わらず、いや一層溌剌とした力強い若さに、くっきりと形作られたマロニエのどこかに、ほころびがないかをもっとよく見たかった。そういった目で見ると、農作業用のくすんだ衣服でさえも、旧友のからだの持つ力を十分に語っていた。サリーは、より明らかな変化の方に話題を移すことで、一切の挨拶を省略した。
「子供たちは、あなたたちの?」
ヤオは、よその大人たちを前に、所在なさげに寄り添ってきた、次男坊のネムを抱き上げた。渾身の柳細工を見せるときのように。
「じゃーん」
にこにこして、そのままひょいとネムを肩車し、誇らしげにマロニエを見た。サリーは、問いの答えを結論づけてしまいそうになった。マロニエは切り返した。
「いや違うから。わたしと、ハンの子供達だから」
「ハンと結婚したの?」
時間の感覚が逆流して目眩がした。ヤオとマロニエのかけあいを見ることも、知人の名前を口にすることも、この五十年、なかったのだから。
マロニエは子供達をぐるりと見た。
「そう。ここにいる四人、みんな」
サリーは、瞬きをして間をかせいだ。早とちりを修正するために、別の女の名前が出てきはしないか……しかし兄はどうやらまだ「ひとり」であるらしかった。寂しさと共に安堵した。彼が「ひとり」でいた頼りなさに対する寂しさと、突然に帰ってきた身内が、多少出過ぎたわがままを言っても、迷惑がる女はいないだろうという安堵だった。






