
千年王国ファンタジー|幻想聖典 エスキャトロギヤ 第1章 王封じ|第1話 白熊
プロローグ
肉はからだ。土を素とし、大地に立つ。
精はこころ。肉にとどめられた、かたち無き宮殿。
霊はいのち。宮殿を住処とし、肉と精を結ぶ。
魂はその宮の創始。天の父のみが、完成を覚える。
然り。
第一話 白熊
首のない白熊、だな。人に説明するとしたら。
それか歩くお化けきのこ……毛で覆われた。
毛は獣の特徴だ。これが説明をやっかいにする。
あいつらも、やっかいな毛深さだと思っているに違いない。
おかげで歩くのがやっとだ。
小さく一歩ずつ、踏みしめている。
足の裏にだって毛が生えているだろうから。
動きに応じて、前に後ろに波打つ。四肢のなごりだ。
頭部は毛に埋もれた。
何度も言おう。それほどの毛量なのだ。
それでいて、あいつらは動物ではない。
動物と人間を区別するならば。
白熊と思ったのは、もちろん「白さ」もある。
さらには獣然としていながら、凶暴さを感じないんだ。
野生の熊をなめちゃいけないのはわかってる。この世界の高み、ヰェナダーの周りでは、ヒョウだって子ヤギとじゃれあう体たらくらしいが。裾野に下れば、神の威光も儚いものだ。野生の熊は、なめちゃいけない。今も昔も。
いっぽう白熊となると、絵本の影響で、でくのぼうで親しみやすいというすりこみがあるだろ?
擬人化された動物は、たいていが二足歩行だしな──だからこその白熊だ。
のそのそ、というよりも、しずしず、歩いている。
でかいのに、毛だらけなのに、かわいい──そう、かわいい。
首のない白熊が三体。
かわいく、しずしず歩き、ぶつかり合うことがない。
ということは、毛に埋もれながらも、それぞれをなんらかの方法で、感知しているってことか。
* * *
千年王国紀八八八年 七月
弓大陸南部イツダテ国
分厚い大きなガラス越しであるのをいいことに──いや、わずかな隔たりさえ惜しんで、技師マナビは、首のない白熊に見入っている。
「イエティでいいとおもうぞ、オレは」
後ろから技師エイヤーが言った。口のなかでバナナをもぐもぐさせ、けば立ったパーカを着て、フードをかぶっている。おでこにクシャクシャした赤毛が貼り付き、肌は脂ぎって、ニキビをつぶしたかさぶたが、そばかすのように散らばっていた。
技師マナビは振り向いた。
「イエティぽいとしても──別の生き物だ」
顔つきは一言でいうと──年齢不詳。
くっきりした目のわりに、心の中が読みにくいのは、まばたきが少なく、瞳の色が真っ黒で、瞳孔が開ききって見えるせいだ。
髪の毛は元が黒く、刷毛で塗ったように白髪があちらこちらになびいている。
肌には青年らしいハリが残っているが、目が落ちくぼんで、やつれた頬が、慢性的な寝不足を表していた。
「全く新しい生命体として、どう呼んだらいいかって話だ」
ガラス壁からのほの明るさに照らされて、顔色がいっそう病的だ。押しの強い声音が神経質さを帯びる。
「いたっ。さかむけ痛ッ!」
マナビの言葉にかぶせるように、生態学者キヅキが小さく悪態をついた。さかむけをむしって少し血がにじんだ指先に視線を落としながら、話題を切り上げたそうに言う。
「お化けキノコ……は?」
彼女の金髪はワンレンボブに切りそろえられ、おしゃれに気を使っていることがうかがえる。少なくとも美容院に行くということは。今は残念ながら、何日も風呂に入らなかった結果、寝ぐせでうねり、皮脂で重たげにくすんでいた。
命名について研究員たちはあまりに無関心だ。喝を入れなければ。マナビは語勢を強くした。
「キノコは頭がデカい! こいつらには頭がない! 頭がないのが特長だ!」
連日の徹夜で頭がまわらない。不必要に声が大きくなった。
「声でかっ」
エイヤーが丸い肩をびくつかせる。
キヅキは机に腰をかけ、飲みかけのコーヒーが入ったマグカップを口に運び、カップの中の空間に向かってつぶやいた。
「名前にこだわる必要あんの?」
マナビは聞き逃さない。
「名づけは重要だ! ──はじめに言葉があった──ヨハネの福音書一章一節ゥ! アダムだって……創られるがはやいか、やらされたのは、動物たちに名前をつけることだ! ──創世記二章二十節ゥ!」
キヅキはコーヒーを「ズー」と啜ってマナビの声をかき消した。
エイヤーがのんびりした口調で返す。
「こいつらは動物って呼べるのか?」
右手の食べかけのバナナが指し示す先には、首のない白熊たちが巨体を揺らしながらしずしずと歩き回っている。
「動物、じゃない。もはや、人間でさえないけど」
マナビはふたたび白熊たちを眺めた。
いくら目を凝らしても、真っ白な毛の中はわからない。
どこかに「禿げ」がないものかと、あっちから、こっちからと視線の角度を工夫しても、つい、毛並みが動く量感に見とれてしまう。
マナビたちは円柱型の塔の地下制御室にいる。塔は中空になっており、首のない白熊たちは中央の円形空間にいる。マナビたちとはガラス一枚で隔てられている。
はるか上から落ちてくる光ダクトの淡い陽が、白熊達を閉じ込めた白い室内に散乱して、場面を絵画的に引き立てている。
美術館に展示された作品を思わせる。動いているが、そこだけ時間がない。
マナビはかつて人だった首のない白熊たちに夢中だ。ハエのようにガラスに張り付いているので、キヅキは鼻で笑った。
「悪趣味」
吐き捨てるようにつぶやいてデスクに戻る。
「マナビィ~、そろそろ、滑車のスタンバイしよっかぁ。」
キヅキが声をかけても、マナビは微動だにしない。
「所長が戻る前に……マナビ?」
やっと技師はガラスから目を離して、仲間を見た。
「ごめ、フサフサでつい」
キヅキもエイヤーもしらけた顔で見返す。
「これさぁ、中はどうなってんのかなぁって」
あまりに表面的な事象にしか目をやってないようで、そこでもう満足しているわけではないと言い訳をしようとした。
キヅキはけだるさを隠しもしない。頭を掻いて、爪に入ったふけを別の指の爪でほじくり出す。
「毛の中は、ってことぉ?」
「そう……」
矢先、マナビの背後、ガラスの向こうで、大きなガラス細工がめちゃめちゃに叩きつけられた音がした。
つづく






